2011年10月17日月曜日

羽織


羽織は胴服から進化したものです。羽織が普及して文久三年(1862年)には羽織袴姿が平服として定められます。
平服とは外出着のことで、個人の儀礼の時は通常は平服で儀礼の場に赴いてもよいと言うことです。
町人も力のある者は礼装として紋付の羽織袴を着用し、平服には着流しに羽織という形式が普及するのですが、女子は奢侈禁止令によって小袖の上に着ることを禁止されていました。
女性が羽織を初めて用いたのは宝暦年間(1751~1763年)に深川の芸者であったと言われています。
写真は清長の(当世遊里美人合)で右端の女性が羽織をきています。
頭を見ますと帯付きの二人と異なって少し男ぽい髪型になっています。
江戸時代には風紀上遊里で幕府が認めた芸者の数は1000人です。それ以上は許されませんでしたので芸妓ではなく、男性と同じく羽織を着て幇間(ほうかん)として、名前も「なになに奴」という男名で座敷に出たのが始まりです。芸者に奴という名が付いているのはそういうことです。
一般女性が羽織を着用するようになったのは文化、文政以降といわれています。
当初は紋付の羽織が通常でしたが、柄物のおしゃれ用も着用されるようになります。
女性の羽織姿はあくまでも略装であって、正式着装は帯付です。

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