2011年10月20日木曜日

浴衣その二

浴衣は当初は入浴する時に用いられていました。
用いられていた着物は湯帷子と言われていまして,それが転訛して浴衣になりました。
江戸時代の後期になりますと木綿が普及して庶民の下級階層の人たちも浴衣を着るようになります。
守貞漫稿(もりさだまんこう=喜多川守貞が天保年間に書いた風俗書)には「卑賤な人々は浴衣を昼夜問わず外着として使っている」とあります。
浴衣は入浴後の涼をとる部屋着として用いていて、けっして外には着て出なかったのが貧しい階層の人たちは単代わりに着用していると書いているのです。
社会通念上は恥ずかしい行為であるからそのようにわざわざ取り上げたのですが、それが次第に一般の人たちに伝播していき、ついには夏の夕方から夜にかけて着る散歩着として着用されるように用途範囲が広がります。
ある大学の卒業式に数人の学生が浴衣を着て出席して、会場に入ることを大学側から拒否されたというエピソードがありました。
卒業式という厳粛な式典に典型的な部屋着で出席するというのは確かに常識外れですね。
夏物の着物にも普段着から礼盛装までありますので、T・P・Oは守らなければいけませんね。
そんなところで変に自己主張しても自分の値打ちを下げるだけなのに、おかしい行為をする青年が後を絶ちませんんね。
浴衣は現在でも一般常識としては夕方近くから夜にかけて着る散歩着としてT・P・Oでは位置づけされていますが、最近は大阪に行きますと朝から浴衣を着て遊んでいる若い人たちが増えています。
風俗というのは大勢の人たちが認知すればそれが普通になるという変遷をしてきていますので、浴衣はそのうちに夏の普段着として定着するかもしれませんね。

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