2011年11月4日金曜日

「江」の時代の肩衣袴と江戸時代後期の裃

武家の通常公服は直垂(したたれ)であったものが、素襖の袖が邪魔で肩で結んでいる姿が前回掲載の写真に見られるように、「江」の時代になりますと直垂系統の袖が取り除かれて肩衣袴が誕生します。肩衣袴は別名「手無し」などと呼ばれました。
 江戸時代になり平和な時代が続きますと、衣服は形式化して華美になり、写真のように肩には鯨のひげを芯にして大きく横に張らしたものになります。まるで「鳥の羽を広げたたる如し」という肩衣になります。
 前身頃は襞を深く取ってうんと狭くなります。袴はスカートのように末広がりになり、前時代のズボン状の形から一変します。
肩衣袴の袴紐は当初は別布ですが、江戸時代の裃の時代には共紐になり、腰の部分には腰板が付けられるようになります。
紋は当初から大紋、素襖と同じく胸と背と腰の部分とに付けられました。前時代には素襖のなごりで袴の横の投げの部分にも紋が付けられていたものもありましたが、江戸時代の裃の時代になりますと袴は後ろの腰板の部分にだけ付けられるようになります。
江戸時代の裃の時代になりますと柄は細かい単色の小紋になります。
小紋には将軍家の「松葉」、島津家の「大小霰」、鍋島家の「胡麻」、武田家の「武田菱」、加賀前田家の「菊菱」など、他の者が用いてはいけない留柄というものも出来ます。
その裃の文様が後に江戸小紋としてきものの柄に用いられるようになります。
江戸小紋という名称は昭和29年に文化保護委員会が江戸時代の技術をそのままを受け継いでいる小紋型染を、無形文化財に指定するときに多彩な小紋と区別するために「江戸小紋」と名付けました。

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