2011年11月28日月曜日

留袖は本来は振りのないお袖の意味

上図左の小袖には振りがあり、右の小袖には振りがありません。
 小袖、即ちきもののお袖は右図のように当初は全て振りが無かったのです。
阿国歌舞伎に代表される遊芸の女達は、踊りの演出効果を高めるために子供の脇明きのあるお袖にヒントを得て、振りのある小袖を着るようになります。
いずれの時代においても芸人達が流行を生み出す源となるのは同じで、芸人達の華やかな小袖の形が一般の人達にも広がって行き、若いミスの人達の晴れ着は振袖仕立てにするのが一般化されていきます。しかし、振袖を着るのはミスの間だけで結婚をすれば振りの無い留袖仕立てにするというのが習わしでした。
そういうことから留袖仕立ての着物はミセスの象徴だったのです。
 その留袖仕立を代表する着物は紋付の裾模様のきものですから、ミセスを象徴する代表のきものということで、江戸褄をいつの時代からか留袖と称するようになりました。
風俗書などには留袖という呼称の小袖は無く、あくまでもお袖の形を表す言葉としてしか使われていません。
  私達の若い頃は喫茶店に入って注文をする時は「温かいコーヒーをくださ」「冷たいコーヒーをください」と言っていました。それが何時からか「ホットコーヒーください」というようになりました。そしてついには「ホット」と言えば温かいコーヒーの意味として何処に行って通用するようになりました。
ホットな飲み物は他にいくらでもありますが、ホットはコーヒーの代名詞になりました。それと同じように戦後になってから、紋付の裾模様と言わなくても留袖で通用するようになりました。それはミセスが着用する代表の着物だからです。
  因みに何故留袖が無くなったのか。
時代の推移と共に袖丈が次第に長くなります、そして享保年間(1716年~)になりますと帯幅も広くなってきたことによって、着装がし難いことから既婚者のお袖にも振りが付けられるようになります。浮世絵などを見ますと江戸の中期には振りのある小袖、無い小袖と新旧の形が混在している様子が描かれています。
大奥の女性たちは市井の流行に関係なく留袖で通しました。

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