2011年12月22日木曜日

下着に付いて

上図の清長と写楽の絵を見れば女性たちは幾枚も重ね着をしていることが、襟元や裾を見ればよくわかります。
 小袖中心の時代になるのは安土・桃山時代からです。
当時の小袖の正式な着装は平安時代の衣(きぬ)の重ね着を取り入れて、当時はまだ襦袢がありませんので一番下には肌着用として白の小袖を着て、その上に重袿(かさねうちき)に真似て色物の小袖を着て、表着(うわぎ)には柄物の小袖を着るというように三枚重ねが正式な着装法でした。
清長と写楽の絵は市井の女達を描いていますが、身分に関係なく富裕な人達は普段着・晴れ着に関係なく下着を重ねて着ています。
  和装の場合は襦袢と表着の間に重ねて着る小袖を下着と言って肌着とは区別しています。
襦袢が元禄時代くらいから着用されるようになります。襦袢が着用されるようになりますと、肌着として着用していた白の下小袖が襦袢に取って代わるのかといえば、そうではなく一番下の小袖の下に襦袢を重ねるようになります。従って上図のように3枚・4枚重なって着装するというようになります。
江戸時代には普段や礼盛装を問わず重ね着をするのが通常のきものの着方だったのですが、戦後洋服中心の時代になりますと和装は簡略化されて留袖以外は重ね着をしなくなりました。
中振袖や訪問着を着る時に襟だけを重ねる、重ね襟と言うものをつけます。あれは下着の名残で、下着の襟だけを昔のように重ねるということです。
昔は普段着・晴れ着関係なく付けましたので、重ね襟はどんな着物に重ねても間違いという事はありません。
但し下着は季節によって重ねたり重ねなかったりと調整をしましたので、春袷、秋袷の時期は重ね襟はしない方がいいですね。

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