2011年12月23日金曜日

心の道

西宮流のimamura様から、将棋の升田九段は、正座ができなくなり、将棋連盟(会長、大山康晴)に腰掛での対局の許可を申し出ましたが許されず「それじゃあ」と引退しました、ということを教えて頂きました。
また、「子どもに将棋を教える時、まず、礼儀作法から入り、最後も礼儀作法を復習します。将棋道ですね」とおっしゃっておられます。
日本のお稽古事の多くは道を重んじています。柔道も剣道もそうですが野球も球場に入るときに一礼をし、退出する時も一礼しています。それも道の一環ですね。
私も着付を教えている時は道を根本に据えていました。着装道と命名していましたが、装道きもの学院から着装道という言葉は商業登記をしてあるから使用するなという抗議を受け、着技道と訂正しました。
お稽古に来る人は道についてはあまり関心がなく、堅苦しいことは忌み嫌いがちです。
例えば、何で着付けと道が関係あるのか。それが理解できない人も少なくありません。
しかし、この理解は自己の人生にとっては大切なことです。
どんなものでも何故それを欲し行うのか。それは自己の人生に膨みをもたせ充実させるためです。
様々なものが存在しますが、それらは人生を充実させるための手段の一つ一つにしか過ぎないのであって、すべての手段の終極の目的は自己の人生の充実です。
これは真理であって、このことの理解が重要です。これが理解できないと、着付と道と何の関係があるのだという批判につながります。
人生の充実、幸せというのは心のあり方で決するものですから、心を高尚に豊かにしなければいけません。
様々な手段は心の豊かさに繋げなければ、お稽古をする意義が半減してしまいます。
心を豊かにするのは、技の道と合わせて、心も道も取り組むものを通して磨いていく。そういう理念の本に多くのお稽古事は道を唱えているのです。
こういう部分は日本の文化の良い点のひとつなのですが、最近は外人の方がその良さを認めて憧れる人が増えている反面、日本人は堅苦しさを嫌う傾向が強いようです。

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