2012年1月31日火曜日

良い先生とはどういう先生か

読売テレビのtenという番組で大阪の教育改革を取り上げた放映をしており、tenでは「どういう先生が良い先生か」ということで意見募集をしていました。そこで私も考えました。
 今は一言で言えば子供に甘すぎます。
大人が確かな認識をしておかなければいけないことは、どんなに素晴らしい科学も芸術も全て物真似から始まっているという事実です。
真面目に物真似をして確かな基礎を築いた人が後に大きな個性という才能を発揮できるようになるということです。
学校教育はその基礎を築く場です。よくゆとり教育とか個性の尊重なんていわれますが、そんなことは確かな基礎を築き上げる妨げとなるだけです。
確かな基礎があって、その上に個々の努力と情熱で個性というすばらしい花が開くのだという、確かな認識をもっておられる先生が先ず良いです。
そのことを前提にして、確かな基礎をどのように築き上げるように導くかが次の課題です。
それは真面目に勉強に取り組める教室の雰囲気作り以外にないでしょう。
最近の子供は自分の親にもどつかれたという経験がなく、甘やかせて育てられていますので、先生だけでなく大人全体を舐めているところがあります。
学校は好きだけど勉強は苦手だ、嫌いだ勉強なんかしたくないという子供も少なくありません。
そういう子供は学校で暴力を振るったり授業中の雰囲気を壊したりします。
とうぜん真面目に勉強出来る雰囲気が壊れてしまいます。
今はそれが教育現場の最大の障害でしょう。
そういう子供に毅然と立ち向かって大人しくさせる。勉強が嫌いなら嫌いでもいいから自分の受け持ちの時間だけは、大人しく猫をかぶって付きあわさせるくらいの厳しい先生がいい先生です。
教えるということはある意味で戦いですから、その戦いに毅然と立ち向かっていく迫力、情熱、根性、勇気を備えた先生が良い先生なのです。
そのためには、父兄も教育委員会も、そういう先生をバックアップする体制を作らなければ、そういう情熱のある先生は育たないでしょう。
愛情は必要ですが甘やかせては良い子供に育つことはありません。
昔から「可愛い子には旅をさせ」、「愛の鞭」という言葉があるではないですか。
なぜここまで大人がだらしなくなったのか。そういうこともズバット指摘出来るくらいの迫力のある人が先生になっていただきたい。
それが良い先生だかです。

2012年1月30日月曜日

孫が来た



娘が孫を連れて来てくれました。
少し前までは顔を見れば泣いていましたが、二十日程で物凄い進歩です。
顔を見ても泣きません、笑ってくれます。しかし手を差し伸べても絶対にきません。無理に抱いたりしますと泣きます。
顔を見るだけで泣いていた時からすれば物凄い成長です。
娘の一日を見ていますと大変です。子供は一日で3分の1位はぐずって泣いています。
一時も母親から離れません。これでは父親なんか何の役にも立ちません。
母親は大変ですが、これだけ頼りにされているのは幸せですね。
私なんかは若いときは撮影で徹夜が多く、早く終わったときは麻雀で遅くなりで、子供の育成がこんなに大変だなんてことは知らないまま歳を取ってしまっていました。
娘を見ていて大変であることを初めて知りました。
生むことも大変なら、嬰児から幼児期にかけての育成も大変です。
男は偉そうに、俺は外で仕事をして苦労が多いのだなんて言いますが、子育てを見ていると何も知らずに外で仕事をしている方が楽ですね。
大きくなっても子供にとっては、母親の存在が愛おしいものであるのはこれでよくわかります。
赤ん坊の時から太い絆で結ばれているのですものね。

2012年1月29日日曜日

幸せの秘訣

「求めることなく愛を与えていると幸せになる」という言葉があります。
人はどちらかというと愛されることの方を強く求めます。
しかし人間には「忘れる」「飽きる」「慣れる」という本能がありますので、男女愛は初心を忘れてそして馴れ合いからついには飽きてきます。
先日もサウナに入っていますと隣に座っている二人ずれの三十半ばの男性が、女の話を盛んにしていました。
あいつはいけると思うから近日中に落としてみせるなんて言っていました。
「嫁はんにばれたらどうすんねん」「その時はごめんちゃいと謝ったらしまいや」なんて話です。
結婚してからでも直ぐにそんな不埒なことをする男も少なくありませんが、大方はしばらくは嫁さん一途でしょう。ところがしばらくすると初心を忘れて、ときめきが薄れた分を他の方向で補おうとします。
女性は子供の育成に追われて、ときめきの薄れたことは子供の育成で紛れていますので、他の方向に目を向けるのは圧倒的に男ですね。
今は離婚率も高くなっています。
同じ殺人を犯してもその動機のおいては情状酌量があるように、離婚の理由にはどちらにも言い分があるでしょうが、その直接の原因を作るのは男の方が圧倒的ですね。
男は総体的にロマンチストだから愛を求めすぎるのですね。
この年になってよくわかるのですが愛は与える対象者が存在するだけで幸せなのです。
与えることに専念すれば心が潤い幸せな気分になれます。
そんなことを言っても「それに値する相手ではない」なんてことをよく言いますが、自分が選んだ相手ではないですか。全て自分が撒いた種なんですから、それに値する相手でないといえば、自分の種の撒きかたが悪かった、そんな自分は蔑んでいる相手よりも馬鹿になってしまうのです。
一緒になるときは何か惹かれるものがあるから一緒になったのですから、求めないで愛を与えることに一生懸命になりましょう。それが幸せになれる最大の秘訣です。
秘訣というのは、一番近い夫婦愛が薄れていては幸せになれる筈がないからです。
これも一度失敗して今は幸せだから分かるのですね。そういう経験のない人にはわからないかもしれませんね。そこのところが生きて行く難しさですね。

2012年1月28日土曜日

人として生きる命題

キリストの原理は愛である。
仏教は慈悲と与楽(よらく)である。
慈悲と与楽は苦しみを取り除き、楽をあたえるというのものであるから、どちらも原理に隔たりはない。
愛が原理であるならば何故東北の大震災のように、多くの人たちに苦労を強いり命までも奪うのか。
キリストも仏も人の化身である限りは、大自然の神々の前では無力であるということだ。
これが真理であるのに拝めば何事も解決するような導きは如何なものか。
キリストや仏でさえ東北の大震災に象徴されるように大自然の前では無力なのに、原発事故は大自然を勝手気ままに操ろうとした、人間の驕りと油断が引き起こした人災だ。
神は化石燃料という産物を与えて下さっている。また風が有り、光があり水がある。
だから、それらを知恵と工夫で旨く使って生きていく術を模索することが、人に与えられた命題のような気がする。
土地も空気も川も海も、大自然を大きく汚すような生き方を選択すれば必ず大きなしっぺ返しがくる。
そういう意味では政治家は欲に塗れないで宗教家でなければいけない。
そういう自覚と認識が政治家にはあるのだろうか。
医師会のように政治家集団も存在するが、科学者や医術者の中にはひたすら人のために頑張っておられる人がいる。そういう人こそ真の宗教家だ。
人は宇宙を構成している微細な要素の一つにしか過ぎない。そんな存在が大自然を揺るがすような生き方を選択するのは摂理に反している。
全てが外れて来ている。これこそが人類滅亡につながって行くのではないか。

2012年1月27日金曜日

人生は登り坂No31

名古屋祭りに行きますと50人位を一人で着せるのです。
着付なんていいますと女性の仕事のようにおもいますが、こういう仕事は女性では無理ですね。
もう40年も昔の話で、その頃は若い女性でもきものの下着の着け方ぐらいは、皆さん知っていましたので、自分で着ていましたが、中には稀に肌着が自分で付けれない人がいました。
そんな場合は良く知っていそうな人を見つけて付けてやってくれと頼みました。
私も独身の時ですから松坂屋の女性の何人かとはそういう会話の中でお友達になり、名古屋のテレビ局に時代劇の応援担当で出向いたときは、お友達になった松坂屋の女性を誘って食事などにも行きました。
大変きつい仕事でしたがそんな楽しみもあり結構好きでやっていました。
またこの仕事をしていて大きな思い出になったのは万博のお祭り広場の催事の担当で出向したことです。
半年前からプロジェクトチームを編成して準備を始めました。
このときに思ったのは英会話ができればもっと面白かったのになぁーということです。
色々のプログラムが展開されましたが今となってはあまり覚えていません。
一番覚えているのは万博開催最後の日のお祭り広場でのさようならパレードです。
東レが500着の振袖をプレゼントして、世界各国のコンパニオンが振袖を着てパレードに参加しました。
500人の外人にきものを着せるのです。お祭り広場の衣裳関係は東宝系が下請けで出向していました。
東宝は阪急系列ですから宝塚歌劇の衣装部の人が応援にきてくれました。
この人たちとは以前に舞台で一緒に仕事をしたことがありますので知り合いです。もう一組みはきもの学院の人達です。
なんとか本番までには500人着せなければいけません。着せる方は私を含めて20人程度です。
皆を集めて形よりも消化することを優先させて一人で20人は着せてくれと頼みました。
宝塚組みは同じ幕内の人たちですから技量は分かっていますが、着物学院組は全くわかりません。
誰が連れて来たのか事前の知らせも顔合わせもありません。その人達の技量が心配だったのです。

2012年1月26日木曜日

人生は登り坂No30

テレビ局で時代劇の制作をしますと、大道具や小道具、衣裳、鬘などで現在劇などよりも制作費が高くなりますので、時代劇は撮影所で制作をしてテレビ局は放映するだけというパターンが定着し、テレビ局での時代劇制作は極端に少なくなりました。
時代劇の仕事がテレビ局や撮影所で少なくなりましたので、一般事業部の各地のお祭りの仕事によく行きました。
各地のイベントとして大名行列を行うのです。
一番大きな祭りの仕事は名古屋祭りです。家康隊、信長隊、秀吉隊の三隊が名古屋市内を練り歩く大名行列です。私の会社が引き受けていたのは家康隊です。
殿様、局10人、腰元30人武将50人というような規模の仕事です。
それを一人で行くのです。局、腰元は松坂屋の女子社員が応援で扮装しました。
男子は殿様だけは着付けて、後の武将は自衛隊が応援出演をしていましたので、隊の指揮官を呼んで着付方を教えて自分で着付けをしてもらいます。武将は武者行列で上に鎧をきますので、着付けは目立ちませんので衣裳だけ渡しておきます。
私が着せるのは女性だけです。行列は昼からですから9時位から50人くらい着せます。
支度部屋に行きますともう松坂屋の女子達は来ています。
その中で私一人が男性です。着替えなければいけません。彼女たちは素人の人たちですので男性に着付てもらうことはおそらく初めてでしょうから、恥ずかしくて躊躇しています。
もたもたしていては行列の時間までに消化できません。恥ずかしがらずに足袋と肌着だけは自分で付けてほしいと頼んでおいて、助手がいませんので、彼女達を一列に並ばせておいて、次に着る人に助手をさせて着せるのです。
その時代の小袖は江戸時代であっても、まだ男性と同じ対丈で、帯びも角帯びと同じような細帯です。
それだと仕事が早くて楽に済みますが、私の会社は天正物の小袖の綺麗な小袖は数がなかったので、
江戸時代後期の江戸物の裾引きでごまかしていました。
因みに江戸時代前期は天正もの、江戸時代後期は江戸ものといい、現実には過渡期は前の風俗と後の時代の風俗は長期に渡って交錯するものですが、それだと分かりにくいので8代の吉宗の時代をその境目として区別していました。
それだけに着付けは大変でしたが、松坂屋の女性達はよく協力をしてくれて、なんとか本番までには
出来上がっていました。

2012年1月25日水曜日

人生は登り坂(No29)

生放送の時は忙しかったですが終わりの時間ははっきりしていました。
ところがビデオの時代になりますと、編集が可能ですから撮影も細やかになりそれだけ時間が掛かるようになりました。そして役者が掛け持ちができますので、役者のスケジュールの関係もあって徹夜の撮影が多くなりました。
いつ帰れるかも分からなくなり付き合っていた彼女ともうまくいかなくなったりしましたが、仕事を覚えることが多いので結構頑張って仕事をしていました。
最初は現代劇の担当をしていたのですが、会社では時代劇が出来る人が優遇されていましたので、自分も時代劇を覚えたいので、京都の撮影所に行かせて欲しいと願い出て京都でアパート生活をしました。
映画での時代劇の撮影は道が舗装されていない所、電柱が映らないところと制約がありますので、どうしてもお寺や亀岡の山の中、琵琶湖の湖畔という場所が多かったのです。山の中に行きますと昼食に困ります。
食べるところがないのです。そんなに苦労してやっと時代劇が一人前にできるようになりました。
力が発揮できるようになった時分に時代劇が下火になり、映画はヤクザ路線に変わっていきました。
時代劇の仕事が少なくなってきましたので大阪に帰ってきました。
この時代になりますと映画よりもテレビ時代の到来です。テレビ局では各局ドラマの制作が盛んにされるようになりました。
時代劇が入ると常時派遣されている人は時代劇ができませんので、臨時でその番組だけ応援で行って仕事をします。
今はテレビ局は全て業者に任せていますが、開局当初は衣装部にもテレビ局の社員がいました。
何をするにもその人に了解を得てするという非常に堅苦しい雰囲気で仕事をしなければいけなかったのですが、その人たちは時代劇が全くわからないので私たち業者に全てお任せです。いちいちお伺いすることもなく仕事ができましたので、大変仕事がしやすく時代劇をできるようにしていてよかったと思いました。
この時代劇が出来るようになったことが後に着物学院を開校できる原動力になったのです。

2012年1月24日火曜日

清盛の時代の武士の公服 直垂(したたれ)

写真はNHKの大河ドラマ清盛の一場面です。
侍烏帽子を被った三人と立烏帽子を被った一人が写っています。
四人が着用している衣服は直垂です。
直垂は上部を袴の中に入れて着装します。
当初は上部だけを直垂と言っていたのですが、共の上下を着用することが多くなって
からは上下を示す言葉になりました。
平安時代の後期には武家の公服として用いられるようになりました。
袖幅は広く一幅半あり袖口寄りを端袖(はたそで)といい、その端袖の後ろ左右一箇所、背に一つ、
胸に二箇所の菊綴が付いています。
それが後の紋付の紋を付ける位置になりました。
袖には袖括りの露と言われる紐が通してあり、いざというときはそれを絞って動きやすくできるようになっています。
袴には括り袴と切り袴と引いている引き袴とあります。
写真の武士は警護の最中ですから動きやすいように括り袴を穿いています。
この時代の刀は太刀で後期のモノより長いので腰に太刀紐で固定しています。

2012年1月22日日曜日

南天は御目出たい木



南天を見ると懐かしさがこみ上げてくる。
小さな裏庭のトイレの近くに南天が植えられていた。
多くの家でも南天が植えられているのを見かけた。
それは南天の実には咳止めに効く、葉には健胃、解熱、鎮咳などに薬効があるから、古くから庭木として親しまれていたのではないかと思う。
初夏に白い花を多数咲かせ、晩秋から初冬にかけて赤色の小球形の実をつける。
艶のある鮮やかな赤色の実のイメージが強いが、写真でわかるようにまれに白色の実をつける南天もあります。
花ことばは機知に富む、福をなす、私の愛はますばかりというもので、赤い実の美しさと、ナンテンの名が「難を転ずる」に通ずることから縁起の良い木としてお正月花として、また料理などの添えの飾り物としても使われています。

2012年1月21日土曜日

狩衣

写真は白河法皇の御前で平清盛が舞楽を披露する場面です。
列席している公家たちは狩衣に指貫袴に立烏帽子(たてえぼうし)の姿です。
狩衣は当初は下級者が狩りをするときなでに着用していたもので、麻製の粗末なものだったのです。
宮中参内は当初は狩衣は許されなかったのですが、平安時代の後期には次第に公服化し、御幸や舞楽の日には殿上人(でんじょうびと)や上達部(かんだちべ)は絹物の狩衣に贅をつくて着装しました。
狩衣は次の鎌倉時代になりますと、武家は武家社会の礼服がまだ用意されてなかったので、公家社会の公服である狩衣を礼装として用いていました。

2012年1月20日金曜日

やっと表舞台に出てきた議員削減

宮崎県知事であった東国原さんも政治家として経験されてきた一人として、地方に権限と責任を持たせる行革を行えば、国会議員は今の半数で十分だと言われています。
私たちもそのように思っていたのですが、私たちは多分に感情論的意見でもありますが、経験者がそのようにおっしゃるのですから、私たちの意見もまんざら愚論ではないようです。
とにかく議員を削減させることを多くの国民が切望していたのです。その削減案がやっと表舞台に出てきました。
トータルで85議席削減という案です。
 ここで私たちは確りと見極めておかなければいけないことは、85議席削減すれば次の選挙では85人議員が減るだけで議会運営には何の支障もないということです。
もし減らすことで国の運営に支障をきたすということであれば、削減反対のまともな意見がでてくるはずですが、反対している意見は党利党略ばかりの意見で、我々国民や国のためにマイナスだという意見はどこにもでていません。議員の都合だけで賛成、反対などと唱え合っているだけなのです。
その事実からすれば、もっと削減してもなんていうことはないということです。
議員一人に年間1億円近く費やしていて、いなくても何の支障もない議員がいる。この現状を確りと見極めてもっと追撃の声を上げなければいけないのではないでしょうか。

今回の削減案には公明党が反対をしているそうで、自民党もまた民主党も数わせのためには公明党の取り込みを視野にいれているから、公明党の意向をくんでこの案は見送りということになりそうだと報じられています。
なんや消費税のためのパホーマンスだけで終わるのかとがっかりしてしまいます。
案を出す方もパホーマンスなら、反対する方もパホーマンスだけで終わりそう。
本当に情けない。こんな人達しかいないのか。西郷隆盛よー、坂本龍馬よー幕末の志士達よー、もう一度生き返って出て来てくれー。

2012年1月19日木曜日

呆れる発言

 野田総理が民主党の党大会で「崖っぷちに立たされているのは民主党ではありません。
国と国民です」と言っていました。
私のような塵、埃ごとき者がほざいても何の影響力もないし、それで人の心を動かすこともありません。
またこういうブログで政治向きのことを書いても、関心を示す人も少ないよう思いますので、あまり政治向きのことは書きたくないのですが、あの総理の言葉を聞いて頭に来て書いてしまいました。
政治家を選ぶ選択権は我々国民にあります。
そういう意味では我々国民の責任も少なくありません。
ただ我々は個々の人格なんか知る由もありませんので、政党で選択します。
政党を信じるしかないのです。
民主党は消費税は上げない。国会議員は削減し様々な無駄を省くと約束して政権を取ったのです。
しかるに財政が逼迫しているので消費税を上げるといいだしました。
震災の復興は遅々として進んでいません。そんな状況で今や税と社会保障改革が最大の政治課題となっています。
財政が危機的状況であるなんてことは今に始まったことではないでしょう。
30万円しか収入がないのに毎月60万円も使った生活をしてきている。そのような生活を何十年も続けてくれば財政が行き詰まるのは当たり前のことでしょう。
そういうことの責任は、与野党関係なく国をリードして来た政治家の責任が大でしょう。
何故そうなってしまったのか。道理に反した政治を行なってきたからです。
崖っぷちに立たされているのではなく、崖っぷちに追いやったのはリーダーである政治家たちでしょう。自分たちの責任を自責することもなくぬけぬけと、「崖っぷちに立たされているのは民主党ではありません。国と国民です」なんてよく言えたものです。呆れてしまいます。
税を上げる前に徹底した支出削減の改革をしろ。
徹底した無駄の削減と改革の後に、消費税の引き上げは我々も既に覚悟はしている。
道理というのは国民を欺かないということもその一つで、消費税は上げないと約束したのだから、上げるための案件を提出したいならその前に解散をしろ。道理を逸脱した政治は必ず国を滅ぼします。

2012年1月18日水曜日

ブロッコリ

初めて見たブロッコリの花に思わず謳う

凛とした寒さ 乾ききった空気
空はどこまでも青く清楚だ
透き通る青さに黄色のブロッコリの花が色を差す
何という爽やかな色の交わりだろう
こんな爽やかな色重ねはめったに見れない
心が爽やかになれば何故か嬉しい
老いの身体も自然と飛び上がってしまう
これも大きな幸せだ

2012年1月17日火曜日

元服(げんぷく)

現在は二十歳になれば男女ともに成人式を行います。これは宮中で行われていた男子は元服、女子は鬢批(びんそぎ)がルーツです。
写真は清盛の元服時の一場面です。
男子の元服は古くは「ういこうぶり」または冠礼といいました。
元は始めで服は身に着ける物の意で、初めて冠と大人の服を身に着ける儀式です。
冠親は尊者と言って名望の高い人を招きます。
理髪の人が髪を束ねて結い上げ、紫の紐で括ります。
その末端を箏刀(たかんな)で切ります。
尊者は放巾子(ぬのこじ)の冠という冠の巾子(こじ=髻を差し入れる後ろの高い部分)を髻(もとどり)にかぶせて冠の額を加え(額に当たる部分を整える)ます。
それから冠者は大人の装束をして尊者や理髪の人を饗します。

女子の鬢批の儀礼は、姫を碁盤の上に乗せて、頬の両側の髪を短く切る式です。
延喜頃から始まって幕末まで続きました。

2012年1月16日月曜日

とんど

1月15日の小正月には正月の松飾などを集めて焼き上げる行事が行われます。
この行事は宮中の年中行事の一つで古くから行われています。
宮中では三毬杖、左義長(さぎちょう)といわれています。
毬杖(ぎじょう)は馬上で毬打をするときに使用するステッキのことで、小正月にはその毬杖
を三本立てて燃やしたところからそのように言われています。
「とんど」のときは中心に神木を立ててそれに書初めの書や竹などを立てかけて燃やします。
その目的は厄除けだと言われています。
「とんど」というのが一般的ですが、神木を燃やしますので尊や尊「とうとやとうと」と囃し立てたことからとんどに転訛してという説が一つあります。
またいきよいよく燃え上がるさまから、「とんど」と言われるようになったという説もあります。
正月15日は松が明ける日で、この日に門松や注連縄等を取り外して燃やします。
その火をあびると息災に暮らせると言われています。また書き初めの書を燃やしますと、書の腕が上がるなどとも言われています。
私の住んでいる武庫川団地は広大な団地ですから、自治会と学校と子供会が主催するとんどが学校の校庭で行われました。
妻は常は日曜日は仕事ですが、珍しく日曜日が休みになりましたので注連縄を燃やしに行ってきました。そのとんどの動画が下記のURLで見ていただけます。


http://www.youtube.com/watch?v=WxDmhPqsD5I

2012年1月14日土曜日

女性の袴姿

女性の袴姿は明治の岩倉具視のお嬢さんが通学服として着用したのが始まりと言われています。
岩倉公は公家出身です。公家の女子は通常着として袴を穿いていました。
明治になって女官も洋服を着装するようになりましたので、その袴姿を通学服に取り入れたのではないでしょうか。
それ以降は先生も式典などには袴を穿くようになり、最近になって女学生や先生が卒業式には袴を穿くという習慣が戻って着ています。
先日の成人式で振袖ではなく袴姿の女性も何人か見ましたが、袴は礼装、礼服ではありません。
男性の学生服と同じだと思ってもらえればいいです。
学生は卒業式では学生服でいいわけですから、袴姿はT・P・Oに適っています。
成人式は四大儀礼の一つですから礼装か盛装です。
礼装盛装ということになりますと女性は振袖か訪問着です。
袴姿は相応しくないということを知っておいてください。

卒業式と謝恩会の着付受付中

只今卒業式の袴と謝恩会の振袖の着付の予約を受け付けています。
どちらも出張して着せます。
・袴姿 3000円  、振袖 5000円です
交通費等上記以外は一切不要です
予約は TEL 0798(40)7061
携帯 090 5069 1180

2012年1月13日金曜日

寝る時の姿


体質によっては手足が物凄く冷たいという人がいます。
私もその一人です。
自分では慣れでそんなに冷たいと感じていなのですが、妻が私の手を触って「わぁ冷た」と驚きます。
だからといってどうということはないのですが、床に入ると特に足が暖まらなくて何時までも眠れません。
だからゴムの緩い厚めの靴下を履いて寝ます。
それから首と肩が冷えないようにネックウォーマをします。
これで寝る時の暖房支度は万全です。
暖房支度は十分ですがこれで終ではありません。
私は鼻腔が狭いのかもしれません。
声も何時も鼻に掛かって透き通るような声になりません。
そのために無意識に呼吸をしている時は口でしてしまっていることが多いのです。
人間の部位には役割が決まっています。
口は声を発したり物を食べたりするところで、鼻は臭いを嗅いで呼吸をするところです。
鼻と口はつながっていますのでどちらでも呼吸はできますが、鼻呼吸が出来たほうが空気は清浄になり、そして自律神経も安定するようにおもいます。
だから寝ているときも鼻で呼吸が出来ていればいいのですが、鼻腔が狭くて鼻が詰まり気味ですから鼻呼吸では苦しくなります。
寝てしまうとどうも口で呼吸をしているようで、特に冬は口の中が乾いてカランカランになります。
唾液で潤そうと思ってもなかなか唾液が分泌しません。
そんな状態ですから歯にもよくありませんし、よく喉が炎症をおこして始終耳鼻科通いです。
炎症すると抗生物質を飲まなければ自浄作用で直すという事ができません。
始終抗生物質を飲んでいますので、あらゆる抗生物質が効かなくなってきています。
そういう状態を少しでも解消するため、即ち口の中が乾かないようにするために口にバンソコを貼って口を塞いで寝ています。お陰で口の中がカラカラに乾くことがなくなり、それに伴って耳鼻科に行く回数が減りました。
扁桃腺の弱い方、歯槽膿漏気味の方は是非試みてください。

2012年1月12日木曜日

布団に付いて

私は背が高いので既製品のシングルサイズでは足が出てしまいますので、布団は別注で仕立てをしてもらっていました。
木綿の綿で少し分厚い目に、ということは少し目方の重い掛ふとんで今まで寝ていました。
布団の打ち直しをしてもらう時に、木綿の綿は重たいので押入れに入れる時の上げ下げも、これから歳を取ってくると重たくなって大変になるから、羽毛布団にされたらどうですかとすすめられたのですが、幼いときから母が布団の綿を打ち直して、仕立て替えをするときなどに手伝った思い出があって、木綿綿の布団には愛着があって羽毛布団は使う気がしませんでした。
地震で布団の上に物が落ちてきたりして少し汚れましたので、それを機に羽毛にかえてみました。
羽毛に変えてからは軽くて暖かくて、もうあの重たい木綿綿の布団は使う気がしません。
羽毛布団に変える時に、何も分からずに値段だけで買ったのですが、その後羽毛にも様々な種類があることがわかりました。
まずダウンとフェザーが何パーセントかということです。
ダウンの柔らかい毛が多いほど軽くて暖かいのです。
安い値段の布団はダウン70%のフェザー30%ですが、値段の高い物はダウン90~95%でフェザーが5~10%のものが多いです。ダウンは胸毛でフェザーは羽根です。
ダウンが多いほうが値段が高いのですが、そのダウンにも種類があります。
マザーグース、グース、マザーダック、ダックとあります。
グースはガチョウでダックはアヒルの毛です。
マザーは飼育期間が6ヶ月から5年と長期間であるため、成熟した羽毛を取ることができます。
マザーはおおきくこしがあるので保温性、かさ高性、耐久性に優れています。
グースの方が羽毛の粒が大粒なので品質が良いとされます。
羽毛の目方は1.2kgと1.4kgが通常で、重いほうが良いのはもちろんです。
羽毛布団はかさ高である方が上等とされています。
それはマザーの良質の毛を使用しているという証であるからです。
一生で約1/3は寝ているわけですから心地良い布団で眠りたいものです。
今度買うときはマザーグースのかさ高を買います。

2012年1月11日水曜日

金剛力士(こんごうりきし)

お寺に行きますと山門の両脇に仁王像が置かれています。
金剛力士というのは仁王像のことです。
インドでは門の両脇に武器を持った薬叉(やくしゃ=夜叉)を置いて、清舎(しょうじゃ=寺院)を守らせていました。
また、古い経典には、仏教を守護することを誓った金剛力士がいて、これと合わさってできたと言われています。
山門の両脇に立って、寺院に訪れる人を監視する役目です。
阿形像と吽形像があります。阿吽の阿は最初に発する言葉のこと。吽は口を閉じていう、最後の言葉です。つまり物事の始まりと終わりで、全体を象徴したものです。
阿形像は忿怒相で魔物を仏門から追い払います。吽形像も忿怒相(ふんぬそう=怒っている相)で門をくぐる者の信仰心を確かめて通すという役割をしています。
信仰心を確かめているとはいっても現実には訪れた者を分け隔てなく通しています。
それを見て迷信だ偽りだと言う人がいるかもしれませんが、それはこういうことです。
これから直ぐに悪いことをしようと企てている人は寺院に参拝に訪れません。
訪れる人は全て善人であると分かっているから通してくれるのです。
わたしはそう思っています。

2012年1月9日月曜日

今日は成人式

これを書いているのは成人式の前日の日曜日です。
テレビでは橋下さんをゲストに迎えて「何でも言って委員会」が放映されています。
様々な意見があるでしょうが、根底から改革をするいう橋下さんの政策方針には私は大賛成の一人です。
橋下さんは大改革をすると断言しています。現実に進行中であると言われています。
独裁なんて馬鹿な言葉を使う人がいますが、今のこの時代に独裁なんてありえません。
独裁はありえませんが、独裁的に強いリーダーシップを発揮して牽引車になってくれる人は必要で、その一人が橋下さんであるということです。
橋下さん曰く、私のやっていることが市民の人々の利益につながらないということであれば選挙で落としてほしいと訴えています。
正にそれが道理です。
やらないと言って選挙で勝利しながら、やると言い出す政党や政治家が沢山います。
その行為は道理に反しています。
国を良くし国民の生活を向上させるには徳心を忘れては駄目です。
道理を疎かにすることは、政治姿勢の心棒がなくなるということです。
即ち、行き当たりばったりの姿勢になってしまうということですから、そんなことで国が良くなるはずがありません。

橋下さんのおっしゃていることは裏返せば、我々一般市民は何が道理かを見極めて、道理に則った判断を下せるようになって欲しいということです。
正しい目と心と積極的に国を思う気持ちをもって審判を下して欲しいと言っていますが、下せるようになって欲しいと訴えています。
今日は成人式ですが、大人となる若者たちは享楽快楽ばかりを求めないで、積極的に政治参画できる大人になって欲しいと思います。でなければ全て自分の身に降りかかってきます。

2012年1月8日日曜日

今年の金剛山

正月に金剛山にお参りの登山を始めたのはもう十年になると思います。
結婚をしてから妻と二人で登っていました。
登りはそうでもないのですが、去年は下りで足にきてしまい駐車場まで帰ってくるのはやっとでまいりました。
金剛山は頂上で登山回数の証明書が頂けます。
多い人は万回登っている人もいます。
私よりも年長者もいますのでもっと足腰を鍛えたおかなければいけないと反省しています。
今年は次女が10ヶ月の子供を負んぶして参加しましたので、登りはロープウエーで登ったのですが吹雪のためロープウエーは運休になり、下りは歩きになりました。
昨年の様に足に来ないように、前半はかがとに重心を乗せて歩きました。
太腿に張りが来ましたので後半はつま先に重心を置いて歩きました。
そうするとふくろはぎが痛くなってきました。そういう気配りをして歩いたので昨年のようにバテバテにはなりませんでしたが、昨年のことがあるので妻が付き添って歩いてくれました。
冬になると寒いのでジョギングまたはウォーキングをサボってしまうからですね。
これからはますます弱っていくのでまた頑張ってジョギングをします。
今回は次女が子供を背負って参加しましたので大丈夫かと心配をしましたが、ゴルフのインストラクターをしていて、体力には自信があるとは聞いていましたがさすがに強いです。
YouTubeに歩いている姿をアップしていますので見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=gwHeerKMBec 画像です

2012年1月7日土曜日

難病奇病の放送を見て

金曜日の夜にタケシさんの番組で難病奇病を紹介していました。
幼くして老化現象が始まり足が動かなくなったり、視力や聴力が衰えて行くというものです。
また、衝撃をうけると筋肉が骨に変化していくという奇病も紹介されていました。
まず驚いたのはそういう病気があるという事実です。
またそういう病魔に犯されている人をみて本当に可哀想だと思いました。
何も悪いことをしたわけでもないのにそういう奇病を患う、神はなぜそんな残酷な試練を与えるのかということです。
私の家でも今年で孫が5人になります。
先ず無事で生まれて欲しい。そして無事に生まれた子供については感謝をして、そのまま元気で育ってくれればそれでいいなぁーと妻と話しました。
やれ学校の成績がどうかなどと子供に求めますが、ああいうテレビを見ていますと、そんなことはどうでもいい、元気で大きくなってくれれば、それでいいなぁーと妻と話していました。
そうなんですお金は食べるに困らない程度あればそれでいいのです。そういうことよりも家族が仲良く、労わりあい、支え合っていければ,それ以上の幸せはないなぁーとも話しました。
正にそのとおりなのですが、人間というものは元気であればそれが当たり前になってしまい、元気なことに対する感謝の気持ちを忘れて欲望を募らせます。
欲望は際限がありませんで、欲望に溺れて毎日をもがき苦しむ日々を送くることになります。
欲求が実現しないことに苛立ち、もがき苦しんでいる人も少なくないと思いますが、そういう人は元気であることのありがたさを見つめ直すといいと思いますね。

2012年1月6日金曜日

今年しゃ春から気前がいいわいなぁー

今年の車の売上が15%ダ昨ウンなどという暗い話が多い中で、皆様もテレビでご覧に成られたと思いますが、東京・築地の初競りで青森県大間産のマグロに1本5649万円の史上最高値がつきました。
築地では、今年の取引開始を祝う一本締めの後に初競りが始まりました。
最高値は、青森県大間産の重さ269キロの本マグロで、5649万円で競り落とされました。
競り落としたのは大手寿司チェーン店の「すしざんまい」を運営する喜代村・木村清社長です。
「海外に持っていかれるよりも、日本国民に食べてもらいたい。良いマグロが手に入った。客に喜んでもらいたい」と言われています。
ここ数年は香港の人に競り落とされていたようです。
昨年は3000万円台だったのが今年は5649万円です。
5649万円のマグロは1kgで21万円。いっかんに換算すると12000円程度になるそうです。
「すしざんまい」では早速解体をして店に出したそうです。その値段はいっかん280円だとテレビで放映していました。
どんな味がするのか話の種に食べてみたいですね。
木村清社長の太っ腹に大拍手ですね。
そんな計算があってやったことではないと思いますが、あんなに大きくテレビで取り上げてもらっています。
もしテレビコマーシャルを流そうと思いますと、莫大な経費が掛かりますので、大きな宣伝になってよかったですね。徳は得を呼ぶのですね。

2012年1月5日木曜日

2012年金剛山

  毎年お正月に金剛山に行っています。
例年お正月の三が日に行くのですが、今年は長男のお家に新築祝いで集まり、三日目は長女が出産しましたのでお見舞いに行きましたので、行くのが四日になりました。
毎年妻と二人で行っていたのですが、今年は次女と友達と10カ月の子供と5人です。
次女の子供は10kgで背負って行くのはしんどいので、今年はロープウエーを利用しました。
山頂に行きますと物凄く吹雪いていました。
あまり吹雪いて風が強くなるとロープウエーの運行が止まってしまいます。
そうなれば歩いて降りなければいけません。
子供を背負って歩いて降りるのは大変ですから、頼むから運行してくれと祈ったのですが、
吹雪は止まず益々風が強くなるばかりで、午後二時の運行から運休になってしまいました。
本格的に登山をやっている人は10kgや20kgぐらいは平気で背負って登りますが、、一般の人にとっては厳しい条件です。大丈夫だろうかと大変心配をしたのですが、「大丈夫です」と当人は
平然としています。
降り始めますと一番軽やかな足取りです。
そうでしょうね、10ヶ月の赤ん坊を連れて雪の山歩きなんかしたいという女性は少ないでしょう。
でも次女は行くことを楽しみに付いてきました。体力には自身があったからなんでしょう。
この力強さと逞しさには感心しました。子供もあの吹雪の中平然と寝ていました。
少子化で子供を大事に大事に育てる人が多いなかで、こんな幼いときから積極的に出歩く育て方をする親も少ないでしょうね。逞しく強い子に育つような気がして楽しみです。       

2012年1月4日水曜日

お正月三日目

今日は河内長野の金剛山に行く予定でした。
毎年妻と二人で行っているのですが、今年は次女も行くというので、私の友人も誘って
行く予定にしていました。
ところが朝になって一人が体の調子がおかしいということですから、無理をしないで中止にしようということになりました。
家で寛いでいますと、昨日長男の家に行って帰りの車の中で長女と電話で話をしていたのですが、その長女の夫から子供が出来たという知らせがありました。びっくりです。
次女は長男の家に行ったその足で私の所に泊まっていましたので、早速一緒に見舞いに駆けつけました。
勿論ガラス越しにしか見れませんでしたが男児誕生です。
今年はお正月から御目出たの連続です。
もし金剛山に行っていたら見舞いに行けなかったところです。
やはり出来た日に身内の者が駆けつけてくれるのは嬉しいですよね。
こういう状態をよく神のお導きなどと言いますね。
偶然であるのですが、神の導きの御陰と思いたいですよね。

2012年1月3日火曜日

お正月二日目



結婚をして二年目、昨年お正月には全員子供たちが家に来てくれました。
今年は長男が家を新築しましたので、そのお祝いをかねて長男の家に集まりました。
娘二人は今年の一月に出産予定ですから来れませんでした。
次女と私たち夫婦と三家族が集まりました。
おせちを作って持っていき皆で頂いてから、お決まりの大人の時間です。
おいちょかぶをしました。
熱くならないように最高賭け金200円の勝負です。
ワイワイと楽しい一時を過ごせました。
子供や孫にたちに感謝です。

2012年1月2日月曜日

初詣の装いにもの申す



初詣は毎年2~3箇所行くのですが、先ずは産土神にお参りすべきだと考え鳴尾の八幡さんに行き、次に西宮戎神社に行きました。
不景気の時は宮参りをする人が多いと言いますが、戎神社は十日戎の如くの賑わいでした。
家内ときものを着て行ったのですが、きもの姿の人を見かけたのは二人だけでした。
着物に携わる者としては本当に寂しいですね。
これは時の流れで仕方ありませんが、写真を見ていただければお分かりの様に大半は普段着でのお参りです。
太古の昔から神仏の礼拝に赴くに当たっては礼盛装が決まりでした。
私たちの子供の頃は午前中に詣でるべきだと親から言われ、参拝に行きますと境内には老若男女がこぞって正装で来ており華やかなものでした。
今は人が多いだけで昔の面影は全くありません。寂しいですね。
皆さんは例えばお正月に上司の家にご挨拶に行くとしましょう。その場合は上司を敬って盛装で行くと思います。
それと同じで、特に松の内の神仏詣では敬い尊び正装で行くのが常識だったのですが、そういう日本の文化もすっかり廃ってしまいましたね。
こういう現象の裏には、生かされている認識が薄れて個人主義が強くなり、みんなが手前勝手の意識で言動を起こす。手前勝手に考えれば、わざわざだ装いを凝らして、手間暇かけなくても普段着の方が楽だかですね。
人間を超越した偉大な神仏を敬い尊ぶ。即ち、感謝の念が強い人ほど自分の人生を豊かにするという法則を知らない人が多くなってきた現象ですね。

2012年1月1日日曜日

おめでとうございます

古希は数えで祝うのでしょうが、満で七十になりました。
ボケ防止の頭の体操のために、できるだけブログも頑張りたいと思いますので
よろしくお願い致します。
皆様方のご健康とご活躍を祈念いたしております。