2012年1月28日土曜日

人として生きる命題

キリストの原理は愛である。
仏教は慈悲と与楽(よらく)である。
慈悲と与楽は苦しみを取り除き、楽をあたえるというのものであるから、どちらも原理に隔たりはない。
愛が原理であるならば何故東北の大震災のように、多くの人たちに苦労を強いり命までも奪うのか。
キリストも仏も人の化身である限りは、大自然の神々の前では無力であるということだ。
これが真理であるのに拝めば何事も解決するような導きは如何なものか。
キリストや仏でさえ東北の大震災に象徴されるように大自然の前では無力なのに、原発事故は大自然を勝手気ままに操ろうとした、人間の驕りと油断が引き起こした人災だ。
神は化石燃料という産物を与えて下さっている。また風が有り、光があり水がある。
だから、それらを知恵と工夫で旨く使って生きていく術を模索することが、人に与えられた命題のような気がする。
土地も空気も川も海も、大自然を大きく汚すような生き方を選択すれば必ず大きなしっぺ返しがくる。
そういう意味では政治家は欲に塗れないで宗教家でなければいけない。
そういう自覚と認識が政治家にはあるのだろうか。
医師会のように政治家集団も存在するが、科学者や医術者の中にはひたすら人のために頑張っておられる人がいる。そういう人こそ真の宗教家だ。
人は宇宙を構成している微細な要素の一つにしか過ぎない。そんな存在が大自然を揺るがすような生き方を選択するのは摂理に反している。
全てが外れて来ている。これこそが人類滅亡につながって行くのではないか。

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