2012年1月25日水曜日

人生は登り坂(No29)

生放送の時は忙しかったですが終わりの時間ははっきりしていました。
ところがビデオの時代になりますと、編集が可能ですから撮影も細やかになりそれだけ時間が掛かるようになりました。そして役者が掛け持ちができますので、役者のスケジュールの関係もあって徹夜の撮影が多くなりました。
いつ帰れるかも分からなくなり付き合っていた彼女ともうまくいかなくなったりしましたが、仕事を覚えることが多いので結構頑張って仕事をしていました。
最初は現代劇の担当をしていたのですが、会社では時代劇が出来る人が優遇されていましたので、自分も時代劇を覚えたいので、京都の撮影所に行かせて欲しいと願い出て京都でアパート生活をしました。
映画での時代劇の撮影は道が舗装されていない所、電柱が映らないところと制約がありますので、どうしてもお寺や亀岡の山の中、琵琶湖の湖畔という場所が多かったのです。山の中に行きますと昼食に困ります。
食べるところがないのです。そんなに苦労してやっと時代劇が一人前にできるようになりました。
力が発揮できるようになった時分に時代劇が下火になり、映画はヤクザ路線に変わっていきました。
時代劇の仕事が少なくなってきましたので大阪に帰ってきました。
この時代になりますと映画よりもテレビ時代の到来です。テレビ局では各局ドラマの制作が盛んにされるようになりました。
時代劇が入ると常時派遣されている人は時代劇ができませんので、臨時でその番組だけ応援で行って仕事をします。
今はテレビ局は全て業者に任せていますが、開局当初は衣装部にもテレビ局の社員がいました。
何をするにもその人に了解を得てするという非常に堅苦しい雰囲気で仕事をしなければいけなかったのですが、その人たちは時代劇が全くわからないので私たち業者に全てお任せです。いちいちお伺いすることもなく仕事ができましたので、大変仕事がしやすく時代劇をできるようにしていてよかったと思いました。
この時代劇が出来るようになったことが後に着物学院を開校できる原動力になったのです。

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