2012年1月26日木曜日

人生は登り坂No30

テレビ局で時代劇の制作をしますと、大道具や小道具、衣裳、鬘などで現在劇などよりも制作費が高くなりますので、時代劇は撮影所で制作をしてテレビ局は放映するだけというパターンが定着し、テレビ局での時代劇制作は極端に少なくなりました。
時代劇の仕事がテレビ局や撮影所で少なくなりましたので、一般事業部の各地のお祭りの仕事によく行きました。
各地のイベントとして大名行列を行うのです。
一番大きな祭りの仕事は名古屋祭りです。家康隊、信長隊、秀吉隊の三隊が名古屋市内を練り歩く大名行列です。私の会社が引き受けていたのは家康隊です。
殿様、局10人、腰元30人武将50人というような規模の仕事です。
それを一人で行くのです。局、腰元は松坂屋の女子社員が応援で扮装しました。
男子は殿様だけは着付けて、後の武将は自衛隊が応援出演をしていましたので、隊の指揮官を呼んで着付方を教えて自分で着付けをしてもらいます。武将は武者行列で上に鎧をきますので、着付けは目立ちませんので衣裳だけ渡しておきます。
私が着せるのは女性だけです。行列は昼からですから9時位から50人くらい着せます。
支度部屋に行きますともう松坂屋の女子達は来ています。
その中で私一人が男性です。着替えなければいけません。彼女たちは素人の人たちですので男性に着付てもらうことはおそらく初めてでしょうから、恥ずかしくて躊躇しています。
もたもたしていては行列の時間までに消化できません。恥ずかしがらずに足袋と肌着だけは自分で付けてほしいと頼んでおいて、助手がいませんので、彼女達を一列に並ばせておいて、次に着る人に助手をさせて着せるのです。
その時代の小袖は江戸時代であっても、まだ男性と同じ対丈で、帯びも角帯びと同じような細帯です。
それだと仕事が早くて楽に済みますが、私の会社は天正物の小袖の綺麗な小袖は数がなかったので、
江戸時代後期の江戸物の裾引きでごまかしていました。
因みに江戸時代前期は天正もの、江戸時代後期は江戸ものといい、現実には過渡期は前の風俗と後の時代の風俗は長期に渡って交錯するものですが、それだと分かりにくいので8代の吉宗の時代をその境目として区別していました。
それだけに着付けは大変でしたが、松坂屋の女性達はよく協力をしてくれて、なんとか本番までには
出来上がっていました。

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