2012年1月27日金曜日

人生は登り坂No31

名古屋祭りに行きますと50人位を一人で着せるのです。
着付なんていいますと女性の仕事のようにおもいますが、こういう仕事は女性では無理ですね。
もう40年も昔の話で、その頃は若い女性でもきものの下着の着け方ぐらいは、皆さん知っていましたので、自分で着ていましたが、中には稀に肌着が自分で付けれない人がいました。
そんな場合は良く知っていそうな人を見つけて付けてやってくれと頼みました。
私も独身の時ですから松坂屋の女性の何人かとはそういう会話の中でお友達になり、名古屋のテレビ局に時代劇の応援担当で出向いたときは、お友達になった松坂屋の女性を誘って食事などにも行きました。
大変きつい仕事でしたがそんな楽しみもあり結構好きでやっていました。
またこの仕事をしていて大きな思い出になったのは万博のお祭り広場の催事の担当で出向したことです。
半年前からプロジェクトチームを編成して準備を始めました。
このときに思ったのは英会話ができればもっと面白かったのになぁーということです。
色々のプログラムが展開されましたが今となってはあまり覚えていません。
一番覚えているのは万博開催最後の日のお祭り広場でのさようならパレードです。
東レが500着の振袖をプレゼントして、世界各国のコンパニオンが振袖を着てパレードに参加しました。
500人の外人にきものを着せるのです。お祭り広場の衣裳関係は東宝系が下請けで出向していました。
東宝は阪急系列ですから宝塚歌劇の衣装部の人が応援にきてくれました。
この人たちとは以前に舞台で一緒に仕事をしたことがありますので知り合いです。もう一組みはきもの学院の人達です。
なんとか本番までには500人着せなければいけません。着せる方は私を含めて20人程度です。
皆を集めて形よりも消化することを優先させて一人で20人は着せてくれと頼みました。
宝塚組みは同じ幕内の人たちですから技量は分かっていますが、着物学院組は全くわかりません。
誰が連れて来たのか事前の知らせも顔合わせもありません。その人達の技量が心配だったのです。

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