2012年2月29日水曜日

ひめ始め

書を見ていると「ひめ始」という文字が目に止まりました。
ひめ始という言葉は江戸時代の暦に書いてあるそうです。
世俗では新年になって始めて男女が交合する意味として
用いられています。
花柳界の習俗としてその言葉が定着しているそうです。
正月の元日だけは休んで二日から営業ですからそう言わているのでしょう。
それが正説であるとすれば暦の中に書かれていることは異常ですから
他に正説があると解説しています。
ひめとはすなわち姫飯(ひめいい)のことで、甑で蒸した強飯(こわいい)すなわち固い飯に対して、釜に水を入れて炊いた柔らかい熟飯(にぎいい)のことを姫飯というそうです。
この姫飯を食べ始める行事がひめ始めの正説だということです。
正月二日に初めて焚くご飯のことを若飯と言いますが、それもひめ始めと同様ですね。

2012年2月28日火曜日

今や古希は無しに等しき

還暦は数えで61歳=満では60歳ですが、古希は数えで70歳です。
古希の名は、唐の詩人杜甫(とほ)の詩・曲江(きょっこう)です。
「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」というものです。
酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。しかし七十年生きる人は古くから稀である。その言葉に由来します。因みにお祝いの色は喜寿と同じで紫だそうです。
私の母は私が昭和48年の4月に商売を始めて慌ただしく動き回っている、その10月になくなりました。
母の死は本当に悲しいですね。なんの親孝行もしないままになくなりました。
若いときは自分の家庭の生活を維持していくのに精一杯です。それが分かっているから妻に仕送りをしてやっくれとも言えません。妻が気の利く人なら何も言わずに気遣ってくれるのでしょうが、正直そんな女はいないでしょう。妻を責めているわけではありません。
若いときはみなそんなものです。ただ女の子は実家に盛んに行って親の手伝いをするのですが、
男は普段仕事で家にいないことが多いので、休みの時ぐらいは家庭サービスで実家にはどうしても疎遠になります。言い訳はしません。親にとっては男は本当に駄目ですね。
その母が亡くなった年に私もなってしまいました。
最近は早くに亡くなる人は古希までには亡くなり、古希をこえると後は平均寿命までは大丈夫というパターンが多いので、もう少し生きていれるようです。
若いときの様に死に対しては恐れがなくなりましたが、結婚してまだ二年ですから妻のことを思うと妻には悪いことをしたと、その申し訳なさに震える時があります。
妻のために長生きするぞ。
酒もタバコも勿論女もやめました。もうこれ以上節制のしようがありません。

2012年2月27日月曜日

子供は幼い時には厳しく

子供の養育に関して偉そうに記してきましたが、私が確かな信条を持てるようになったのは40歳前です。
私にも二人の子どもがいますが、私が気づいた時は既に遅しでした。
急に変貌して厳格に育てますと子どもが戸惑って、結果として親子断絶という事態になってしまってもいけませんので、子供に親の私が拙かったことを話しました。
お前たちが可愛いから何も分からず、ただただ慈しむことばかりを優先させて育ててきた。
私の子供の成績は中の上位の成績だったのですが、お前たちの成績がその程度で留まっているのは親の責任であるから、成績については気にしなくていい。これからも何も言わない。塾に行きたければ行けばいいし行きたくなければいかなくてもいい。
それからお前たちの成績で、何もかも同じように勉強していてはどっちつかづになってしまうから、何が一番好きだと聞きました。そうすると英語と答えましたので、それでは英語だけ確りと勉強しておけばいい、後は0点でも構わないと言ってやりました。
現在は下の娘は外国で子育てをしながら事業をやっています。
上の子は一流企業に努めています。
私が子供たちに、これからの女性は男に頼る生き方は駄目だと言ってきました。その通りに二人とも完全自立していますので、後は心の支えになる人がいればいいので安心です。
その男性に付いても、好きな人ができればすきにしてもよい。もしそれで上手くいかなくても人生はやり直しが出来る。他所の親のように男性との付き合いについてはやかましく言わないでフリーにしていました。
ただ子供たちが幼いときから、「男性と付き合ってもいいけどもエイズには気を付けろ、ドラッグだけは絶対にやるな」そんなものに手をつければやり直しができなくなる。外国によく行っていましたのでそのことだけはよく言っていました。
阪神淡路大震災があったときに、妹が心配をして今から帰るとタイから電話してきました。
いくら待っても帰ってきません。そこで姉の方がタイ航空に電話をしました。
英語ですから何を言っているのか私にはわかりませんでしたが、その英語で話す娘を見ていて頼もしく感じました。私の子供にしては上出来の作品になったことを感じ安心しました。
それで私の子供に対する仕事は終了です。
思えば幼い時は物凄い様相で怒っていました。大人が怒れば本当に怖いということを幼いときに心に刻み込んでおかなければいけないと思っていたからです。蹴飛ばせば3~4m飛んでいたこともありました。勿論怪我をしないように計算をしながらですが。そんな接しかたですから、私が怒っている顔をみれば怖さで震え上がっていました。ところが小学校の高学年から一切怒らないで自由にさせて育てました。それでも幼い時に怒った時の怖さを味わっていますので、特別に声を荒らげて怒らなければいけないようなことはなく良い子に育ってくれました。
大人を軽んじるまた舐めるような育て方は絶対に駄目ですね。

2012年2月26日日曜日

福寿草

キンポウゲ科の植物で旧暦の正月に
咲くので元日草(がんじつそう)朔日草(ついたちそう)とも言う。
お正月に見られるのは園芸品で、普通は二月になって咲く
南天とセットで「難を転じて福となす」ということで、
おめでたい取合せとして正月の飾り物によく使われる。
根と茎は毒が強い。

枯れ老いた 世界に映える 福寿草

2012年2月25日土曜日

ジャノメマツ(蛇の目松

葉の先端はグリーンですが、普通の松の葉色よりも緑の色が浅く、
葉の付け元は黄色くて中程で萌黄色になり先端で緑になっています。
不思議な針葉を表している松で私は始めて見ました。
マツ科でアカマツの園芸品種だそうです。

天高く 厳寒なんの すがし松

2012年2月24日金曜日

成績は何で決まるか

ホワイトパウダー・パフ

前回子供は親の鏡という詩を紹介しました。
その詩を読めば、私が申し上げるように、子供は親の作品であるという意味が分かっていただけると思います。
親の言動が大きく子供に影響を及ぼしますので、親は確かな人生観と思考に基づいて子供に自分を曝けだすことが大切なのです。
例えば確かな思考というてんですが・・・。
親は自分の子供は成績の良い子供に育って欲しいと切望し、塾などに通わせてお金を投じていると思います。
子供の教育には親は大変熱心なのですが、それでは学校の成績はなんで決まるかと親達に尋ねますと答えられない人がたくさんいます。
大学入試くらいまでの学校の成績は記憶力で決まります。習ったことを沢山記憶していれば良い成績を取れます。それ以外にありません。
それではその記憶力はどうしてたかまるのかと言えば、集中力と持続性です。
親に勉強しなさいと言われなくても自主的に勉強に励み、その状態を長く持続できれば間違いなく知識は高まり成績は向上します。
その集中力や持続性、またはやる気というものは性格の一部であって、性格は良い生活習慣によって作られていきますので、幼いときからの躾が大切になります。
例えば、食事をする時やオヤツを頂く時は、きちっと座らせて取らせる。
毎日毎日のことで、それが幼いときからずーと続くのですから、きちっと座らせるという生活習慣によって、腰を定めて座れるようになります。腰が定まれば自ずと腹筋,背筋も鍛えられます。
集中力には静止して長時間座れるという状態が大きく影響をおよばします。
集中力が良くなれば習った事柄が多く頭に蓄積され、成績はアップします。
集中力には幼いときからの躾が大切で、躾をするには「そんなことをしては駄目でしょう」なんて、口先だけで言っているだけではどうにもなりません。親が先ず子供の手本となる所作を示して行くことです。最近の親は所作や作法というものを本当に疎かにします。それでは駄目です。
そのようにきちっと躾て養育しても、家庭の経済力、親の夫婦仲、兄弟仲や友達関係など様々な要因によって、必ず親が希望するほどに育つということはないかもしれませんが、ここに記したようなことを親が認識しているか否かでは必ず差異は生じると思います。

2012年2月23日木曜日

子供は親の鏡

椿


「子供は親の鏡」という言葉がございます。
その言葉は、「子供が育つ魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス共著、石井千春訳、PHP研究所)に記載され、その後手が加えられて以下のようになったそうです。
子供との関わりに付いて書いていますのでご紹介します。

子は親の鏡
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世はいいところだと思えるようになる


これを読めば如何に親は子供に大きな影響を与えていることが分かります。
子供は親の作品だと言いましたが、過言でないことが判然とします。

2012年2月22日水曜日

子供との関係

葉ぼたん

お金があれば様々に贅沢が出来る。また愛は続かない事が多い。ところがお金は裏切らないし幾らあっても邪魔にならい。だから子供には勉強に励め。良い成績を取らなければ良い会社に入れない。
良い会社に就職できれば収入は安定するし、生涯収入も多く貰える。だから親は頑張れと子供に叱咤激励をします。
人生はもっと複雑ですが単純に考えれば、確かにそれは事実ですから、同じ勉強をしなければいけないのなら、それを意識して勉強をすることも一つの目標にはなります。
人生経験を経て愛に付いて熟知出来ている大人は、そのように激励をするのですが、子供は純粋ですから、愛が続かないというようなことは理解できません。純粋であるが故にお金よりも大切なものがあると考えています。
大人が思っている現実論と、子どもが考える理想的思考には大きな隔たりがあります。
ですから適当な時期に、親は子供とそういう人生論を膝を突き合わせて話し合いができることが理想なのですが、それが出来ている家庭は少ないのではないでしょうか。
話し合いの場を設けることが出来なければ、腹を括って黙って見守るしかないのですが、親は上から目線で叱責や小言の繰り返しになる場合が殆どです。
そうなると、子供にとっては親は疎ましいだけの存在になってしまって、親子関係は悪化していきます。そして友達には告げても親には何も言わないということになります。
それは親子にとって一番不幸な状況になってしまいます。
子供たちは現実の厳しさを理解できていませんので、友達の方が話し易いなどと簡単に言います。
だけどもし子供に何か不都合な事が生じたときは、友達では何の解決にも頼りにもなりません。
本当に困った時は、子供を助けられるのは親しかいないのです。
そのことを親はよく理解して、何か不都合が生じた時は、「お父さん、お母さん助けて」と言える関係だけは残して置いてあげなければいけません。
子供は親が思っている以上に、自分の親はどういう親かよくわかっています。
親が確かな人生観をもって生活していれば、子供は自然と親を見習って良い生活態度をしめすとおもいます。親は自分を改めて、子供にはあまり口うるさく小言を言わないことですね。
そしてできれば親子で真剣な話が出来る環境を構築してほしいですね。

2012年2月20日月曜日

子供の育成

 結婚をして一年と八ヶ月、結婚をしたときは長女の子供が一人だけで、披露宴にはよちよち歩きで出席してくました。
それから各子供たちに子供ができて今は孫が5人です。
身近に子供たちの奮闘ぶりを見ていますと、子育てに付いても他人事ではなくなりました。
そこで子育てに付いて私なりに考えてみました。
私の人生観を申し上げれば、子供は親によって育てられ、作られていくということです。
子供を見れば親が分かる。子供は親の尺度しか育たないという言葉はそれを証明している言葉です。
親自身の育ってきた環境、そして子供を設けた時の環境があり、親自身の性格や、親自身の経済力、また夫婦仲とかというものが、子供の性格育成に大きく影響を及ぼすということです。
各々の親がいて、各々自分の育成法が正しいと自負して子供を育成します。
自負という強い気持ちが無くても、それしか知らないし、それでしか仕方がないので自分なりに良かれと思って育てる訳です。
それで親が十分に満足できる子供に育てば問題がないのですが、十分に満足できる子供に育つということは稀で、もっとこういう子供に成って欲しかった、育てたかったということの方が多いのではないでしょうか。
でもそのように思ったとしても、言葉は悪いですが子供は親の作品なので子供には罪はないのです。
出来の悪い作品になったとすれば製作者が失敗をしてしまったのです。
そういう理解と認識を親達は持っているか否かが非常に大切です。
親が子供の為を思って一生懸命に舵取りをしても、思う方向に進んでいない時は舵をとっている親の責任ですから、思い止まって舵取りの方向を改める柔軟性が重要なのです。
それができないで突き進んでしまって、子供のためといいながら、大切な子供の心をひん曲げたり潰してしまっている話は山ほど見聞します。

2012年2月19日日曜日

もうすぐ誕生日



もうすぐ誕生日です可愛いですね。
癒されますね。ありがとうです。
子供は幼少にして既に十分に恩を返していると
言われていますが全くそのとおりですね。
少しでも長生きして見守ってあげなければと
おもってしまいますね

2012年2月18日土曜日

人生は登り坂No35

東京転勤が本格化してきました。
私は時代劇ができましたので、それまでにも東京の新宿コマなどに応援に行ったりして、東京の生活を肌で感じていました。環状線に乗りますと、乗ってる人の服装を見ますとそんなに高級な服装をしている人はいなくて質素です。私は阪急神戸線を通勤に使っていましたので、それと比較すると随分質素な服装の人が多いなぁーと感じていました。
東京はエンゲルケースが高いから、その分質素に暮らさなければ仕方がないからではないかと思って
いました。
衣裳会社の給料は安いのです。そんな給料で東京で生活をしなければいけなくなると、子供を大学に行かせてあげることができないだろう。可愛い子供と別れて単身赴任なんてもってのほかという考えでしたので、東京転勤を拒否していました。
そんな時に教えに行っている各着物学院の先生方が、「先生学院を起こしはったらいいのに、起こせば私たちはお稽古に行きますよ」と言ってくれました。
ヘッドハンチングなんてことが世間では行われていますが、そういうのは余程優れた人たちの世界のことであって、一般的には学校から正式に入社した会社を一度辞めれば、それ以上の条件の会社に再就職出来ることは日本ではまずありません。
そういう意味では私はサラリーマンとしては失格者ですから、失敗してもこれ以上に失うものもないので、そう言って下さる人たちの言葉をありがたく受け止めて、やってみようと決断をしました。
始めるに当たっては教室となる基地が必要です。給料の安い会社ですから蓄えはありません。
そこで女房の兄が有名企業の役員をしていましたので資金融資を頼みました。
私は結婚をしてから住居は女房の実家の近くに構えていました。よくあるケースです。
したがって女房の実家には頻繁に行き来をして、親に何かあると手助けをしていましたので、親の面倒を良く見てくれているといことで、心安く貸してくれました。
立派なビルのテナント料は高くて借りれません。ビルは立派で無くてもいいから安くても表通りに面した所という条件で探しました。
梅田の扇町線の表通りに面した小さいビルですが、空いていましたのでそこに決めました。
三階を教室にして二階を事務所としました。家賃はたしか11万円位だったと思います。
辞めた当時の給料は6万円代だったと思いますので、目算が狂えばたちまち倒産です。
学院の名称は様々に調べましたが、そういう名称が存在しませんでしたので「日本きもの学院」と命名しました。
いよいよ第三回目の人生のスタートです。

2012年2月17日金曜日

人生は登り坂No34

私はきもの教室に時代衣装の着付けを教えますのでやりませんかと営業にまわりました。
きもの教室の前進は和装小物会社です。
自社で開発した小物の使い方を、デパートなどでは、使い方の説明販売をしていました。
それが発端になり、自分で着れない人が増えているので、人を集めて着付け方と、自社のオリジナルの小物をセットにして売ろうという形で始まったわけです。
それの方が確実に小物が売れるという企画で始まりましたので、大手のきもの学院の母体は小物会社である場合がほとんどです。
指導者は以前は営業の販売員であったのが学院という組織で始めたものですから先生となりました。
その先生方は着付けのプロではなく私たちに言わせれば素人の集団です。
それでも時流に乗ってきもの教室は大ブレークしました。
目をつむって石を投げればきもの教室に当たると言われるくらいに一時は数多く存在しました。
それが証拠に出張着付けにいきますと、大方の人は学院オリジナルの小物を所持されています。
市販されていませんので、それを持っていればお稽古していたという証になるわけです。
私が営業に回り始めたころはそのブームのピークが終わり下火になりかけていました。
着物学院のあり方を改革しなければいけない時期に入っていた頃です。そういう時期にさしかかっていましたので危機的意識があったのでしょう。私が教えますから習いませんかと営業に回りますと、直ぐにやりたいという先生方が出現しました。
芸者、舞妓、十二単などの衣裳を担いで講習に出かけます。
今からおよそ40年前で一回の講習に教材費を入れて8万円位頂きました。
会社でもこの試みを本格化させて人を養成していけば、映画、舞台、テレビの仕事に派遣ができる。
それを謳い文句に人を募れば人が集まるのではないかと思い、その企画を会社に進言したのですが
取り上げてもらえずに、東京転勤が本格的に決まる形勢になってきました。

2012年2月16日木曜日

リゾの真鯉と緋鯉

  鳴尾浜のリゾには大きな池がある。
この池には水が何処からも注がれている様子もないので湧き水なのかもしれない。
湧き水であるとすれば海の際にあるので少しは塩分が含まれているのではないか。
そんなことに関係なく池には沢山の真鯉と緋鯉が気持ちよさそうに少数ずつ群れながら泳いでいる。
その群れの一つに際立って大きなも真鯉が一折(おり)いる。
大きくて悠然と泳いでいる。池の淵まで近ずいていくと、慣れているのだろう餌をもらえるのではないかと恐れることなく近づいてくる。
そのまま餌を与えないで見ているだけでは、鯉たちを騙し討ちにしているようだから自販機で餌を売っているんで急いで買いに行く。
鯉に餌を与えるときは水面に餌をばらまけば鯉は奪い合うようにしてむさぶり付くのが普通だ。
しかし大きな真鯉は写真で見てもらえれば分かるように、水面から顔の部分を浮かび上がらせて大きな口を開けて餌を求めてくる。
その真鯉だけは水面から頭を浮き上がらせてくるので直接口に餌を入れて与えてやる。
手をかざして餌を見せれば水面から頭を持ち上げてくるので直接口に入れるのである。
魚だとは思えない餌の与え方だ。
恐ることなく親しく頭を突き出してくるのである。
俺が善人であり優しい人であることを鯉はしっているのだ。
私と真鯉との友情の証かもしれないと思ってしまう。

2012年2月15日水曜日

人生は登り坂No33

映画の時代劇はテレビ映画だけになってしまい、それも少数です。
その内に大映が閉鎖し、松竹撮影所も閉鎖して東映だけが残りました。
東京での制作は主に現代劇です。時代劇は東映の太秦だけになりました。
京都東映は一時時代劇が盛んでしたので自社で衣裳も所持しており、衣装担当の社員もいましたので私たちは必要がありません。
残る仕事場は劇場の芝居かテレビです。
大阪というところは不思議な土地柄です。純粋なというか高尚なお芝居の劇場は人が入らないので次々と潰れていきました。
テレビ局のドラマ制作は現代劇が主ですから私たちは必要ではありません。
大阪のプロダクションは仕事の多い東京に拠点を置くようになりました。
関西で育った俳優でも席は東京にあります。そのタレントをドラマ製作で関西に呼びますと、ギャラの他に交通費、宿泊代が必要で経費が高く付きます。
そんなことで関西でのドラマ制作が激減していきました。
映画は駄目、芝居もテレビも駄目になり関西の会社は成り立たなくなりました。
そこで会社は東京に転勤する人を募りました。
何人かはそれに応じて行きました。
全盛の時は終わってから仲間とよくマージャンをしましたがそのメンバーが集まらなくなるようになりました。
そこでそれまでは映画会社やテレビ局や劇場の仕事をしていたのですが、そこはもうダメなことは明確ですから、一般部を設けて一般の会社や団体が催事の時に衣装が必要であれば貸し出そうということになりました。
その段階で思いついたのが着物教室です。
以前万博の時に一緒に仕事をしたことがあるのですが、その後きもの学院の存在はすっかり忘れていました。

2012年2月14日火曜日

直垂についての仮説

2012/02/14 8:34:11

直垂姿

単(ひとえ)衵(あこめ)の直用姿

NHKの大河ドラマ清盛を見ていますと武家は直垂を公服として着用しています。
直垂は垂れ首になっています。
公家社会の服は下層階級者が着用する狩衣も水干も円頸(まるくび)です。
上着には垂れ頸系の服は存在しません。
何が起源となってこういう服が出現したのかを考えてみますと、公家が内着として着用する、単(ひとえ)や衵(あこめが)そのルーツではないかと思われます。
小袖がそうです。上級者が下着、肌着として着用していたものを、下級の庶民は表着(うわぎ)として着用しています。服飾史においてはそういう現象がよくみられますので、直垂も公家が着用していた内着が表着化したものではないかと思います。
公家の下級者が着用する狩衣には袖括りと露がつけられています。
水干にも袖括りと露が付いており、菊綴じがつけられていますので、武家が活躍をしてくるようになると水干に倣って形が整備されのではないでしょうか。
脇が開いている、前後共に袴の中に穿きこむということからもそうではないかと思います。
これは学者でない私だからこそ大胆に推理できることです。
この直垂は室町時代になりますと武家社会における第一礼服となります。

2012年2月10日金曜日

みんなの党頑張れ絶対に挫けるな

自民党から民主党にと引き継がれた現在の政治は、現体制の下で如何に財政を健全化させるかに終始しています。
歴史を繙けば歴然であるように、政治の中枢にいる人は与野党と問わぜ保守的なのです。
保守的な人の考えは、自分の立場を保持するために、常に現体制下でなんとかしようと模索します。
現体制下でなんとかしようとしますと、当然のことながら社会保障は減退します。
お金を生み出す方策はそれしかないのですから増税を考えます。
今の野田内閣は全くその通りです。
今の体制下でなんとかなると思っているのでしょうか。
たとえ消費税を10%にしても財政の健全化は難しいと言われています。
ここまでくれば大改革しかないのは分かりきっています。
橋下市長がやろうとしているように、またみんなの党が提唱しているように、今の制度をぶっ潰して新しい体制で臨むしかないでしょう。
みんなの党は、財源を委ねて地方を独立させる。
公務員の数を減らし給料の見直しをする。勿論議員の数も減らして報酬も減額する。
そして国の財政を一本化させる。
それを行えば消費税を上げなくてもいけると提唱しています。
それを実現させるには何が大切かといえば覚悟だと言っています。
保身なんか考えずに橋下さんのように覚悟をもって行えばやれるといっています。
民主党には裏切られましたが、もう一度渡辺さんに期待してみます。
どこまで覚悟を見せてくれるか楽しみです。
現在の政治において橋下さんや渡辺さんが頑張らなければ日本は立ち直れないでしょう。
現体制下でいくらもがいてもどうすることもできないのは、自分も商売をしてきた人間としてよくわかります。
橋下さん渡辺さんどんなことがあっても、私たちの希望の火を消さないように絶対に挫けずに前進してください。子供たちや孫たちのためによろしくお願いします。

2012年2月9日木曜日

メタンハイドレート

以下は北野幸伯さんの記事です。紹介します。

メタンハイドレートという新エネルギーがある。

簡単にいうと、「凍結状態のメタンガス」。メタンハイドレートは、メタンを中心に周囲を水分子が囲んだかたちになっている物質で、ほとんどは海底にある。
見た目は氷と同じ。しかし、火を付けると燃えるので、「燃える氷」と呼ばれている。一立方メートルのメタンハイドレートを解凍すると164立方メートルのメタンガスになる。
石油、石炭と比較すると、燃焼時の二酸化炭素は半分ほど。温暖化対策にも有効な新エネルギーなのだ。
米地質調査所とエネルギー省のデータによると、世界のメタンハイドレートは、陸域で数十兆立方メートル、海域で数千兆立方メートル。
これは、世界天然ガス確認埋蔵量(145兆立方メートル)数十倍。天然ガス、原油、石炭の総埋蔵量の2倍以上といわれている。まさに世界を救う新エネルギーといえる。
ここからが重要。メタンハイドレートは日本周辺にたっぷりあることがわかっている。
米エネルギー省によると、南海トラフ(東海地方沖から宮崎県沖)北側に4200億~4兆2000億立方メートル。地質調査所の調査では、南海トラフ、北海道周辺海域に、6兆立方メートルが存在する。これは、日本の天然ガス使用量の100年分に匹敵する。
日本近海は、なんと世界最大のメタンハイドレート量を誇っている。そのため、日本は石油枯渇後、世界最大のエネルギー資源大国になる可能性がある。


 なんと喜ばしいことでしょう。ところが石油や石炭などで、既得権益を有している人たちは多くいます。そういう人達は開発には積極的でないと昨日報道されていました。
「またかえ」です。嫌になる情けなくなりますね。
国後島にロシアのメドベージェフさんが来ました。北海道から北方四島周辺にも大量にメタンハイドレートがあるということですから、ただ視察にきただけではなくロシアの領土であることを再認識させるためのものではないでしょうか。領土返還なんてありえないでしょう。
また竹島などでも領土権を主張してくるのはそういう資源があるからです。
その点日本の政治家の動きが全然見えて来ないですね。真に日本のことを考えているのでしょうか。どうなっているねんと言いたいです

2012年2月8日水曜日

教育者の考えのずれ

西宮でバウチャー制度が実施されているそうです。
これは進学をしたくても貧しくて塾に行きたいけれども行けないという子供に塾代を補助する制度だそうです。
これに大阪の橋下市長が目をつけ、大阪にも取り入れて実施するということです。
橋下市長の考えに対して、教育員会の陰山という人が、「学校教育よりも塾を重視しているということではないでしょうか」と皮肉めいたコメントをされているのをテレビでみました。
その陰山さんのコメントを聞いて、教育委員会の人の考えは実社会の現実からずれているなぁーと思いました。
子供たちに聞きますと塾に行けば学校では教えてくれないことを教えてくれる。また分かりやすく説明をしてくれるので、理解しやすいなどと意見を述べています。
現実に進学を目指している人は塾に行かなければ進学できない。競争に勝てないのです。
学校教育では「差別になる」「平等に」という方針の下で画一的な指導を行なっています。
その弊害が学力低下につながって来ている。学校だけでは競争に勝てない。その結果が進学を目指す者は塾に行かなければ仕方がないというのが現実です。
学校教育者は自分たちの教育方針に対して自負しているようですが、それならば学校教育で十分に競争に勝てるように教育をすればいいではないですか。それが出来ていないから塾に行くのです。
この現実を踏まえて教育を捉えていなければ、ずれていると言われても仕方がないでしょう。
世の中は全て競争原理で成り立っています。
成績はその子供が頑張った、努力したという精神力の象徴でもあるわけですから、採用する時は成績の良い人から採用するのは当然の行為です。そのことはどの時代においても基本的には変わらないでしょう。
競争はなくならないのです。それが人間社会なのですから、学校教育にも競争原理を取り入れて競わせることも必要ではないかと思います。
例えば運動会の時には選抜のリレーは行わない。等級を決めない。それが子供たちの団結や協調性を高めるとでも思っているのでしょうか。
橋下さんがあらゆる意味で教育改革を唱えているのには共感できるところが大です。

2012年2月7日火曜日

野田総理の演説



小沢さんが民主党が消費税率アップを裁決するならば反対に回ると言っています。
裁判中である小沢さんは自身の罪状については今は灰色状態で、今や国民から嫌われているように窺えますが、小沢さんが反対票を投じると言っているならば、小沢さんは民主党では一番まともら政治家であるといえます。
国のリーダーである政治家は品格がなければいけません。
品格とは物事の道理を弁えて誠実に実行するということです。
選挙の時に野田総理は消費税は上げないと言っています。
あの演説をしている人間が平気で消費税の引き上げをしようとしています。
品格も何もあったものではありません。
消費税率を上げる上げないという議論の前に、消費税率を上げますと宣告して解散しなさい。
それが道理を弁えた品位ある行動です。

2012年2月5日日曜日

三丁目の夕日

三丁目の夕日の第三部を見てきました。
一部は東京タワーの建築が始まったとき。
二部は東京タワーが出来上がったとき。
そして三部は東京オリンピックの年を時代背景に、下町の人情が描かれています。

子供の頃を思い出します。テレビが各家庭にまだ普及していないので、近くの電気屋さんに床が抜けるのではないかと思われるくらいにギッシリに人が集まり、力道山のレスリングを皆で熱狂して見たものです。
自動車もミゼットの三輪車です。道路にはチンチン電車が走っています。
そんな時代背景のなかでまだ貧しかった日本の下町の風景があり、そこに住む人達の人情が描かれています。
貧しいけど皆んな前向きで頑張っていた時代です。そして少し厄介だけど人の家の出来事までにも口を挟んでくる近隣の人達、だけど困ったときは皆で皆で助け合う。そういう人間関係の温かさが描かれています。
お金お金と豊かになればなるほど人はお金に執着するけれど、経済が何時までも発展を遂げることはないことは歴史が証明しています。

そしてお金は楽しみを買うための手段に用いられるもので、一番大切なのは心の豊かさです。
食べて行くに困らないだけのお金があれば、お金以上に大切なのはお互いを思いやる心、即ち大きな愛です。それが真理ですからあの世界の黒沢と言われて監督もヒューマニズムな映画を撮り続けていました。この映画も単純に分かりやすくそのヒューマニズムを描いています。
平安時代に末法思想ということがいわれました。時代が進めば進むほど神仏の教えが後退をしていって自我が強くなり、人を思いやる心も薄れてきます。
そういう心の大切さが忘れられようとしている現在に、一石を投じている心温まる映画です。
映画館には時代背景が懐かしいので年配の人が多いのですが、ああいう心温まる映画は若者たちに見ていただきたいですね

2012年2月4日土曜日

万博の想い出

昨日万博のフィナーレで500人のコンパニオンが振袖を着たと記述しました。
お祭り広場には様々な催しに参加する人たちが待機する広い部屋がありました。
そこに500人のコンパニオンが来ました。
そこに私が入っていきました。
私は女性だけの中に行くというのは仕事柄なれています。
いつものように彼女たちが待機している場所に行きますと急に騒がしくなりました。
私は慣れていますが、素人の外国の女性は男性の前で裸になることは慣れていません。
出ていって欲しいと抗議のざわめきです。
そこで通訳を呼んで、今日は催しが始まるまでに皆さんを着せなければいけない。
それは大変な作業ですから恥ずかしがったりして、もたつくと着せることができないので、この人は着付けのプロフェッショナルで、この仕事のリーダですから、恥ずかしがらずに支度をしてくれと言ってもらいました。
そうすると外国の人は割り切りがいいですね。こちらの目線が何処に向けていいのかと戸惑うぐらいにいきよいよく脱ぎ始めました。
彼女達は制服の下はブラジャーとパンストだけです。
私も若いときは女性の服を脱ぐのを手伝った覚えはいくどもありますが、日本人はショーツの上からパンストを履いています。ところは外人は合理的ですから、パンストはショーツとストッキングがつながったものという解釈ですから、全員日本人のようにショーツは付けていないのです。
これでは足袋が履けないといいますと、何人かはパンストも潔く脱ぎましたが、さすがに恥ずかしがる人もいました。
どうしても恥ずかしがる人はストッキングの指先を引っ張って少し余らせて、親指の間に挟んで足袋を履いてもらいました。
私は大勢の人を着せるのには慣れていますので、仕事が早かったのでしょう。私に着せてもらいたいと並んだ人はパンストは全員脱ぎました。
私もまだ二十歳代ですから、仕事でなければ鼻血が出ていたでしょうが、不思議ですね昔の風呂屋の番台に座っている兄ちゃんのように何にも感じませんでしたね。
節分ですね、節分にはお化けといって、水商売の女性は芸者、舞妓に紛争したりします。
そういう場合にショーツを履いていると線が出るので皆さん脱ぎます。
何も付けていない状態から着せるという経験は幾度もしていますから、仕事の時は何も感じません。
そんなことで余計に彼女達は親近感を持ってくれたのでしょう。
パレードのときはキスの嵐でした。

2012年2月3日金曜日

人生は登り坂No32

きもの学院の人たちはどの程度の技量があるか、その段階では全くわかりませんので心配でした。
その心配していたことが現実となりました。
仕事をしていると宝塚歌劇組みの知り合いが。「飯山さんうちの人達と着物学院組みがもめてる」と知らせにきました。その原因は着物学院組みの人が、そんな着付け方は違うとクレームを付けてきたことが原因だということがわかりました。
そこで皆を集めて怒りました。着付というものは着ていて楽で、着崩れがしなくて、出来上がりがきれいで、そして早く着付けが出来ることが最良です。そういう着付けをする手順はこれでなければいけないということはない。この時間と競争している大変な時にそんなつまらないことで仕事がはかどらないなんて「何を考えているんや」とどなりました。
着付け方なんかどうでもいいからなんとか時間までに上げて欲しい。そう怒鳴って自分の持ち場に帰りました。
後に自分が各着物学院の人と交わるようになって分かったことですが、きもの学院の先生方は、芸能界などでの、本格的な仕事の場では使いものになりません。
それでも自分たちは着物学院の先生であるというプライドだけはたかいのです。
そのことは後に自分が学院を越して分かったことで、その時はまだわかりません。
わかりませんがその場に来ている人の動きを見ていると、一目見てこれでは使い物にならないと直感しましたので、知り合いの宝塚組みを呼んで、着物学院組みはあてにならないのであんたらが頑張って欲しいとはっぱをかけました。
私も必死で着せました。足袋の履き方がわからないので足袋専門に履かせる者を連れてきて、履かせてもらいました。
なんとか本番までに間に合ってほっとしました。
同じ模様の着物と帯びですが500人も揃いますと壮観です。
初めて着る振袖に各パビリオンのコンパニオンの皆様は大変喜んでいました。
パレードが始まりますと私を見つけたコンパニオンの皆様は、私のところに来て皆さんキスをしてくれました。頑張ったお返しですね。

2012年2月2日木曜日

孫が出来る

  昨日は三女が帝王切開で出産ということで京都まで出かけました。
一時から手術が始まり、母子ともに無事で3148kgの女児が誕生です。
帝王切開で母親は後の処置があるので子供が先に部屋に帰ってきて皆で母親よりも先に子供を抱かせてもらいました。
私たちの子供の頃の出産後すぐの赤ちゃんは猿のような顔を一様にしていましたが、今の赤ちゃんは当初からお顔はツルツルで目鼻立ちがはっきりしています。これはどういうことなのでしょうかね。
可愛いという一言です。
今年は一月にも一人出来ていますのでこれで二人目です。
結婚をした時は孫は一人だったのですが、この二年の間に5人になってしまいました。
目出度いことです。
孫たちは成人を迎える頃にはもうその姿を見れないかもしれませんが、皆んな立派に育って親を支え国を支える子供に育ってくれることを祈ります。