2012年2月27日月曜日

子供は幼い時には厳しく

子供の養育に関して偉そうに記してきましたが、私が確かな信条を持てるようになったのは40歳前です。
私にも二人の子どもがいますが、私が気づいた時は既に遅しでした。
急に変貌して厳格に育てますと子どもが戸惑って、結果として親子断絶という事態になってしまってもいけませんので、子供に親の私が拙かったことを話しました。
お前たちが可愛いから何も分からず、ただただ慈しむことばかりを優先させて育ててきた。
私の子供の成績は中の上位の成績だったのですが、お前たちの成績がその程度で留まっているのは親の責任であるから、成績については気にしなくていい。これからも何も言わない。塾に行きたければ行けばいいし行きたくなければいかなくてもいい。
それからお前たちの成績で、何もかも同じように勉強していてはどっちつかづになってしまうから、何が一番好きだと聞きました。そうすると英語と答えましたので、それでは英語だけ確りと勉強しておけばいい、後は0点でも構わないと言ってやりました。
現在は下の娘は外国で子育てをしながら事業をやっています。
上の子は一流企業に努めています。
私が子供たちに、これからの女性は男に頼る生き方は駄目だと言ってきました。その通りに二人とも完全自立していますので、後は心の支えになる人がいればいいので安心です。
その男性に付いても、好きな人ができればすきにしてもよい。もしそれで上手くいかなくても人生はやり直しが出来る。他所の親のように男性との付き合いについてはやかましく言わないでフリーにしていました。
ただ子供たちが幼いときから、「男性と付き合ってもいいけどもエイズには気を付けろ、ドラッグだけは絶対にやるな」そんなものに手をつければやり直しができなくなる。外国によく行っていましたのでそのことだけはよく言っていました。
阪神淡路大震災があったときに、妹が心配をして今から帰るとタイから電話してきました。
いくら待っても帰ってきません。そこで姉の方がタイ航空に電話をしました。
英語ですから何を言っているのか私にはわかりませんでしたが、その英語で話す娘を見ていて頼もしく感じました。私の子供にしては上出来の作品になったことを感じ安心しました。
それで私の子供に対する仕事は終了です。
思えば幼い時は物凄い様相で怒っていました。大人が怒れば本当に怖いということを幼いときに心に刻み込んでおかなければいけないと思っていたからです。蹴飛ばせば3~4m飛んでいたこともありました。勿論怪我をしないように計算をしながらですが。そんな接しかたですから、私が怒っている顔をみれば怖さで震え上がっていました。ところが小学校の高学年から一切怒らないで自由にさせて育てました。それでも幼い時に怒った時の怖さを味わっていますので、特別に声を荒らげて怒らなければいけないようなことはなく良い子に育ってくれました。
大人を軽んじるまた舐めるような育て方は絶対に駄目ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿