2012年2月15日水曜日

人生は登り坂No33

映画の時代劇はテレビ映画だけになってしまい、それも少数です。
その内に大映が閉鎖し、松竹撮影所も閉鎖して東映だけが残りました。
東京での制作は主に現代劇です。時代劇は東映の太秦だけになりました。
京都東映は一時時代劇が盛んでしたので自社で衣裳も所持しており、衣装担当の社員もいましたので私たちは必要がありません。
残る仕事場は劇場の芝居かテレビです。
大阪というところは不思議な土地柄です。純粋なというか高尚なお芝居の劇場は人が入らないので次々と潰れていきました。
テレビ局のドラマ制作は現代劇が主ですから私たちは必要ではありません。
大阪のプロダクションは仕事の多い東京に拠点を置くようになりました。
関西で育った俳優でも席は東京にあります。そのタレントをドラマ製作で関西に呼びますと、ギャラの他に交通費、宿泊代が必要で経費が高く付きます。
そんなことで関西でのドラマ制作が激減していきました。
映画は駄目、芝居もテレビも駄目になり関西の会社は成り立たなくなりました。
そこで会社は東京に転勤する人を募りました。
何人かはそれに応じて行きました。
全盛の時は終わってから仲間とよくマージャンをしましたがそのメンバーが集まらなくなるようになりました。
そこでそれまでは映画会社やテレビ局や劇場の仕事をしていたのですが、そこはもうダメなことは明確ですから、一般部を設けて一般の会社や団体が催事の時に衣装が必要であれば貸し出そうということになりました。
その段階で思いついたのが着物教室です。
以前万博の時に一緒に仕事をしたことがあるのですが、その後きもの学院の存在はすっかり忘れていました。

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