2012年3月31日土曜日

副地獄

等活地獄、黒縄地獄,衆合地獄、叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄、ともう一つは
副地獄があります。
以上八層の地獄の四方には各四種の副地獄が設置されています。
つまり一層に地獄が一六、地獄全体で一二八の副地獄があります。
副地獄には糞尿にまみれるとか、熱した灰の中を歩くというような、様々な責め苦が用意されています。
八つの地獄には当てはまらない罪があるから、各々の罪に合った罰が必要だからです。
最近偶然にも地獄絵本が売れているそうです。
幼稚園児に読み聞かせて地獄絵を見せますと、怖くて泣いている園児がいました。
悪いことをしたら地獄に堕ちるという戒めは昔から言い伝えられていることです。
怖いものを知らずに目一杯甘やかされて育てられる、今の子供たちには有効な道徳教育になるかもしれませんね。
仏教の六道には地獄、餓鬼、畜生とあるのですが、これが仏教の教理ではなく、これは人の心を善行に導くための訓話です。しかしこういうものが信じられていれば、もっと世の中がよくなるかもしれませんね。、

2012年3月30日金曜日

無策エレルギー政策

ガソリンがレギュラーで159円という高止まりのままに推移しています。
政府は社会保障と税の一体改革を唱って消費税アップに躍起になっています。
この不景気に消費税を上げれば益々疲弊するのは、これまでの例で明らかです。
消費税は国民が納得の出来る無駄を省く改革がなされた上で、それでもなんともできないということであれば致し方がないということは十分承知しています。
しかし優先順位が違うやろう。先にやることがあるやろうということです。
現在のガソリン高騰もなんとかしなければいけない緊急課題ではないでしょうか。
景気に大きく関係するそういう重大な課題を抱えていながら何にも出来ていない。
国会を開会していると一日に億の費用が掛かると言われています。
情けないです。
連合が支援している。旧の社会党の議員が多数所属している民主党では、公務員改革などは出来るはずがない。そんなことが分からなかった自分が情けない。こんどはみんなの党、橋下さんの率いる維新の会という希望の星がまだ存在するから、早く解散しろと言いたいです。

2012年3月29日木曜日

人生は登り坂(No36)

きもの学院を開校して120人の人が来てくれました。
時代衣裳という特殊な着付ですから当初から月謝10000円で一年間のカリキュラムを組みました。
120人ですから1200000円の収入です。
私が会社を辞めた当時の給料は6万円台でした。
家賃その他の諸経費が15円位です。
家計はサラリーマン時代から女房に任せていましたので明確にはわかりませんが、差し引きしますと90万円位残る勘定になります。
私はお金のことよりも慣れない指導者としての勉強に追われていましたので、お金のことは全く関知していませんが、兄から借りたお金は直ぐに返したということでした。
順調な滑り出しです。
私は教えることに没頭していればいいのですが。これが慣れないものですから覚えることが一杯で大変な苦労です。
苦労ですがしんどいと思ったことがありませんでした。これはサラリーマンと自営とはことなるところですね。
教えるようになって先ず思ったことは、みんなの前で理路整然と話をするということの困難です。
これが最初に立ちはだかる私の障害でした。
これは慣れるしか仕方のないことですが、話し方というものは直接生徒の抱くイメージにつながりますので苦労しました。
理路整然と話すというだけでなく、声の安定性が求められます。
聞いている人が安心して、そして落ち着いて聞ける声の響きが必要です。
そのために詩吟のLPを買ってきて声を鍛える勉強もしました。
教えるということは何よりも自分の勉強になるというのは真実です。
技術面では自信があってもそれを伝える言葉は難しいのです。
教えるということは様々な才能が要求されることを知りました。
今考えれば、この一年間は教えるというよりも全く自分の為の勉強に終始した感があります。
その時の生徒さんごめんなさいです。
あっという間に一年が過ぎました。

2012年3月28日水曜日

しょうざんの庭



娘が京都におりまして、二月に子どもが授かりましたので、孫の顔を見に行ってきました。
家は金閣寺、北野天満宮に近い所に住んでいますので、行ったついでにしょざんに行ってきました。
しょうざんはウールお召を開発した織元です。
しゅざんお召は一時は大流行をして一世を風靡したきものでした。
しかし、しょうざんはおしゃれ着ですから、きもの衰退の波に飲み込まれていまは見る影もありまえんがお庭は綺麗です。
苔に覆われていて、北山杉の古木と巨岩がマッチングされている。
茶室が点在しており、清流の小川が庭園に流れている。そして今の時期は梅が咲いています。
しょうざんの名物は酒樽の茶室です。
酒樽に茅葺きの屋根がしつらえてあり情趣に富んだ風情です。
この酒樽茶室では粋人は霧吹きで樽に酒を吹き付けて染み込ませ、その香りを楽しみながら御茶事を行なったそうです。

2012年3月27日火曜日

阿鼻地獄(あびじごく)

仏教では五戒、五戒とは・不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)
・不邪淫(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゆ)のことで、これを犯した者は極悪人で、極悪人はこれ以上の苦痛はないという地獄世界の最下層に堕ちます。
極悪人を待ち構えているのは体長四千キロもある銅製の地獄番犬、鉄製の蛇、64個の目と長さが40キロの牙、八つの手、十八本の角を持つ鬼たちによって、間断なく苦痛が与えられます。
阿鼻地獄は「無間(むげん)地獄」とも言われます。
つまり間がなく責の手の苦痛が与えられます。
他の地獄では、死んでも生き返らされますので、その一瞬でも苦痛から解放されますが、阿鼻地獄はそれがないために、最も恐ろしい地獄だといわれています。
しかも他の地獄は一層下がる度に苦痛が十倍に増しますが、阿鼻地獄は例外に大焦熱地獄の千倍にもなります。

2012年3月26日月曜日

焦熱・大焦熱地獄(しょうねつじごく)

少し途絶えていましたが地獄物語の続きです。
焦熱地獄は地獄の業火(ごうか)が燃えさかる世界で、その業火の熱さは豆粒の
火でも地上を燃え尽くすほどだと言われています。
焦熱地獄は熱した鉄の棒で叩かれたり、口から肛門まで鉄串で突き通されたりした上で
地獄の業火で炙り焼きにされます。
お尼を犯した者は大焦熱地獄に堕とされます。
彼らは等活地獄から焦熱地獄までの様々な責め苦を見せられて、とことん恐怖を味わったから
地獄の業火に突き落とされるのです。

2012年3月24日土曜日

忘れな草



忘れな草は歌ではその名を知っていましたが
どういう花か知りませんでした。
先日北山植物園に忘れな草が咲いていましたので
撮ってきて歌も歌ってみました。

2012年3月23日金曜日

孫一歳になりました



孫が一歳になりました。
何事にも興味津々で自分で歩きたくて仕方がなく、
目を離すと何処に行ってしまうかわかりません。
何かを手にすると一度は味見をするのはまだ変わって
いません。
鳩を追い回していましたので、菓子を買ってきて
鳩に与えたのですが、鳩を追い回しながら自分も
菓子を拾って食べています。
母親は近くにいて見ていたのですが笑って見ていました。
あまり神経質に汚いなどというよりも、適当に不潔が
抵抗力を養うと聞いていますので「それでいいのだと」
私たちも面白く見ていました。
この母親の大らかさがきっと子供の性格育成に
プラスになるだろうと思います。

2012年3月22日木曜日



昨年は梅見に遠くまで出かけましたが、今年は妻が仕事で忙しいので
なかなか行く機会が無く、このままでは今年は梅見ができないままに
シーズンが終わってしまうと少々焦りがありました。
3月14日に時間が取れましたので中山寺に行って来ました。
京都の北野天満宮も例年は2月中に梅祭りが終わってしまいますので、
もう終ではないかと心急く気持ちで出かけたのですが、紅梅は見頃でしたが
白梅はまだ2分咲きというところでした。
中山さんは白梅の方が多いので風情としては寂しげであったことが、既にお彼岸を一週間後にひかえている時期なのに驚きでした。
原田悠里の花盛りという曲に「林檎も桜も一緒に咲いて」という歌詞がありますが
この調子だと梅と桜の競演になってしまうのではと思います。
それだけ今年は寒かったということですね。
早咲きの彼岸桜などが満開ですから梅と桜を同時に撮影できるかもしれません。
寒かった冬の贈り物ですね。

2012年3月15日木曜日

イタリアン




中山寺に梅を見に行く途中で感じの良いイタリアンのお店が
有りましたのではいりました。
写真にプラスしてガーリックパンが出ます。
一人1480円でした。
ウイークディなのに満席で待ちのお客さんも多数いました。
おそらくその周辺では有名なのでしょう。
ピザは塩からくて私たち年配者には向きませんでした。
若い人ならいいのかもしれません。
三田に次ぐイタリアンでイタリアンはもうひとつだなぁーというのが、私と彼女の
感想です。
私たちはイタリアンは卒業します。
店名 ドルチュ モスカート
場所 JR中山寺駅を真っ直ぐ南に300mくらいの所です

2012年3月14日水曜日

叫喚・大叫喚地獄(きゅうかんじごく)

禁酒の罪を犯した者が堕ちる地獄です。
金鋏で口をこじ開けられて熱でドロドロに溶けた銅を流し
込まれるという罰を受けます。
灼熱の銅は胃や腸を焼け焦がし肛門から出ていきます。
するとまた口から銅が流し込まれます。
一方大叫喚地獄は嘘を付いた罪人の舌を鉄の針で突き刺して
鉄バサミで引き抜くという罰が行われます。
舌は何度でも再生するのですが、その都度罰を受けますので
日夜苦痛でのたうち回るのです。

2012年3月13日火曜日

衆合地獄(しゅうごうじごく)

殺人や盗みの他に淫乱の罪が重なった者が堕ちる地獄です。
この地獄にはカミソリの葉でできたサボテンのような木が無数に生えており、
その木の上には絶世の美女や美男がいて性的な魅力を振り撒いています。
もともと淫乱な罪人は美男、美女の媚に誘われて木を登っていきます。
木には鋭利なカミソリがありますので、それで内蔵まで切り刻まれます。
それでもようやく木に上り詰めますと、美男、美女はいつの間にか木の下に
いて罪人を誘います。
罪人はそうして永延に木を昇り降りするのです。

2012年3月10日土曜日

黒縄地獄(こくじょうじごく)

生前盗みを働いた者が堕ちる地獄です。
黒縄の由来は墨縄(すむなわ)という、大工が板に鋸をいれる線を描く道具によります。
黒縄地獄に堕ちると黒縄で身体全体に桝目が引かれ、鬼たちによって斧や鋸で桝目通りに
体が切り刻まれていきます。
絶叫の中で身体は四角い肉片になると、どこからか風が吹いてきてバラバラになった肉片が集まって人間の体に戻ります。
再び体に桝目が引かれ切り刻まれていきます。
黒縄地獄の罪人はこれを延々と繰り返すのです。
この地獄にはそのほかにも釜ゆでの刑やフライパン炒めの刑もあります。

2012年3月9日金曜日

等活地獄

六道の世界は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道とあり、前世で極悪な罪を
犯したものはその罪の重さで地獄道、餓鬼道、畜生道と振り分けられます。
地獄道にも八つの地獄があります。
面白いので順に紹介します。

先ずは等活地獄です。
生前、殺生を行なった者が堕ちる地獄です。
ここでの罰は相手を殺すまで大喧嘩するのです。この地獄の住人は自分の意思とは無関係に24時間のべつ幕なしに殺し合いを続けます。
相手を倒すと今度は牛頭と馬頭が出てきて殺人者を鉄棒で打ちすえバラバラに砕きます。
砕かれた死体はどこからか涼風がふいてきたり声が聞こえてくると生き返り、また殺し合いを始めます。なんと一兆六千二百億年も続きます。それ以降は刑期が八倍づつ増えて行きます。
等活とは死んでまた蘇生してと繰り返すところからきています。

2012年3月8日木曜日

修羅道

人は死ねばあの世とこの世の間にある冥土の旅に旅立ちます。
冥土では七回の裁判を受け七回目に前世の行いによって、六道のどの道に行くかが決まります。
その六道は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道です。
人道は私たちの住む世界ですが、修羅道は人道よりも一ランク下にあります。
お寺に行きますと阿修羅像などが安置されていますので、なぜ人道よりも下のランクに位置づけられているのか不思議ですから書物を開いてみました。
その世界は須弥山(しゅみせん)と持双山(じそうせん)の間の海の水深一八万キロの海底に位置しています。
この世界は鞞摩質多羅(びましつたら)、奢婆羅(しゃばら)、踊躍(ゆやく)、羅睺羅(らごら)
の四人の修羅王が支配をしています。
一般に阿修羅というのは羅睺羅(らごら)を指しています。
四人の王は東西南北の海に分かれ、それぞれの海を統括し、水中に七宝造りの荘厳で美しい大宮殿を構えています。
この天界にも似た世界が何故人道よりも下なのか。
それは羅?羅は天界に住んでいたために宮殿が立派なのです。
しかしある事情で阿修羅は天界から追放されました。
阿修羅はもとは忉利天(とうりてん)という天界の住人で、正義を司る神でありました。
その世界を統括者は帝釈天で、その帝釈天に幾度も戦いを挑み負けましたので、追放されたわけです。
その阿修羅が支配する世界には妄執(もうしゅう)に取りつかれて、人を許す慈悲心のない者が転生する世界です。
永遠に戦いに挑み苦しみを味わう世界です。

2012年3月5日月曜日

喫茶カラオケタイム十周年記念


村上 英子ママ

十周年記念おめでとうございます。
臨港線に面した武庫川より信号で西に二つ目の北東角にあります。
住所は西宮市笠屋町10に存在する、喫茶カラオケの十周年のパーティーがホテル・ノボテルで行われ
その着付けをさせて頂きました。
着物は白生地の金箔で五つ紋を染めた色無地です。
この着物はタイムのママのために私がデザインさせて頂きました。
徹底的に粋を追求した着装が狙いでした。
帯結びも角出しに結んでいます。

2012年3月3日土曜日

雛祭りと雛人形

日本には古来から祓えの民俗がありました。
紙で作った人形を撫でて厄を移しそれを川に流しました。
人形は三日は一緒に寝て四日に流しますので、広島や大阪では四日を送り節供と言われています。
雛人形は人形に移した厄を流して祓うというところからはじまっていますので、三日の節供が終われば早く仕舞ったほうがよいというのは、そへんからきている謂れではないでしょうか。
その撫で紙人形から次第に精巧なものになり、流す雛から永久保存の愛玩や観賞用の人形にと発達して行きました。
宮中では大人も愛玩としていたのですが、聖徳太子が「此の遊びは太夫の遊びに非らず向後は幼女の遊びと為せ」(旧事紀)と告げられてから雛遊びは幼女の遊びになりました。
祓えの習俗は各地にあり三月三日に当初は限られていませんでした。
三月三日は宮中の五節句の一つで、宮中では宴が催さたのですが、それが三月三日の雛遊びに移行していったのは、江戸時代の五代将軍綱吉の時代からだといわれています。
江戸時代になりますと雛人形専門の作者が出現して何々流という人形が制作されました。
当初は雛人形は段無しで飾っていたのですが江戸時代の寛延ころには二段、明和頃には三段になったと文献にあります。江戸時代の後期には五段飾りが一般的になりました。
現在のように内裏の有様を表すようになるのは江戸時代の末期からだそうです。

・上段には男雛と女雛を置きます。左右に御伽犬を置いて中央に三宝を置いて徳利を供えます。
男雛と女雛の位置は昔は左方上位ですから向かって右に男雛を置いていたのですが、昭和の御大典 後から高御座(たかみくら=重大な儀礼の時の天皇の玉座)と同様に男雛を向かって左にすること が提唱されました。
・次段は三人官女(中央は座り姿で盃を持つ、向かって右は長柄、左は銚子を持つ立ち姿です
・三段目は五人囃子で能の囃子方の位置と同じです。向かって右から扇を持って歌う者、次が笛、中 央が小鼓、次が大鼓二人並べます。
・四段目は隋身です。左大臣、右大臣で中央に御膳が置かれます。
・向かって左に橘、右に桜を置いてその間に三人仕丁をおきます。

最近は住宅事情などで上段だけをケースに収納した内裏雛が多くなっています。
幼女の厄祓いから始まったものですから、こういう日本の文化を大切に伝承していきたいですね。

2012年3月1日木曜日

死を見つめることは大切


人は死にあたって何も得るものはないし、また何も持って行ける人はいません。
そのことを曹洞宗の開創者の道元禅師は「国王、大臣、会社の上司、同僚、部下、妻子、財産も救けてくれることはない、唯一人黄泉(よみ)に趣くのみなり、従ってくるのは生前の業報だけである」と明確に言っておられます。
人は業だけを背負って冥途に旅立ち7日毎に裁判を受け7回目の49日に決裁を受けます。
それが満中陰です。
六道のどの世界に行くのかその道が示される訳ですが、同じなら地獄道、餓鬼道、畜生道には行きたくないでしょう。
行きたくなければこの世では善行を積まなければいけないのです。良く出来た話ですね。
末法思想が既に平安時代から始まっており仏の教えが遠のき、今の人はそんな話は迷信だと嘯いて勝手気ままにふるまいますが、そういう教えを多少とも信じて善行を積めば必ず自分の人生は
充実します。
悪行は心が荒むばかりで、善行でしか心の潤いは得られません。