2012年5月11日金曜日

星田妙見宮

星の神社、特に七夕伝説で有名な星田妙見をご紹介します。
五十二代嵯峨天皇の弘仁年間(810~823)、弘法大師は京都を旅発たれ、
ところどころの霊場を訪ね回っておられたが、ふと河内の国私市(きさいち)の
観音寺へ立ち寄られ、ここで虚空蔵菩薩求門持(こくぞうぼさつぐもんじ)の
法を修められた。
すると、その法力によって、その夜、山の手に仏眼仏母の光明が輝いた。
そこで、夜明けになってから山に登り、獅子窟寺山の吉祥院にある獅子の岩屋に入って、
仏眼尊の秘法を唱えられた。
すると、不思議にも、大空から、七曜の星(北斗七星)が降り、それが三つに分れて落ちた。
八丁三所と言われている。
その星の降った所を探してみると、星田の高岡山の南にある星の森、
光林寺の境内の森、そして今一つはこの妙見山の頂にある三つの巨岩である。
以来、これらの石を影向石(ようごうせき)として祭ることになったと言われている。
(妙見山影向石略縁起)による。
影向石(ようごうせき)とは、神仏がその姿をこの石の上にあらわしたという石で、
八丁(872㍍)とは、三ヶ所の影向石の間が八丁隔たっているという意味である。

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