2012年5月29日火曜日

人生は登り坂(No38)

食べるものは少々我慢や辛抱ができますが、商売をしていますと待ったなしにお金は出ていきます。
幾ら蓄えがあるのか女房に任せ切りですので把握ができていなかったのですが、たいした額でないことだけは見当が付きます。
子供がいることですから、そんなお金は当てにしないで、最低出ていくお金だけは稼いでこなければと焦っていました。
生徒を募ると言いましても、こんな場合は大阪の中心地で基地を持っていますと苦労をします。
周辺は事務所ばかりで住宅がありませんので、宣伝をすると言っても広範囲ですから、チラシ等の手段はお金が掛かって使えません。
また電車の中吊りなどの宣伝は莫大な経費が必要になります。
私のような零細なところが出来る宣伝は新聞の生徒募集欄に3-4行の短い宣伝文句を載せれる程度です。
それでも大変な費用が掛かりますので、ひと月に一回載せれる程度です。
それでもそれをしなければ一歩も前に進みませんので、最小限度の経費に止めて載せました。
その程度の宣伝では直ぐに反応があるわけがありません。反応が無くても載せなければ前進がありませんので生活を切り詰めて広告掲載をしました。
そして後は待つ以外にありませんので、アルバイトにいきました。
御中元と御歳暮の配達のアルバイトです。車持ち込みで行けば、一シーズン終わった時には、昭和の50年に入った当時で38万円位になりました。
最初の一年間は順調に推移していましたので、助手で手助けをしてくれる人を頼んでいました。
二年目からは女房に事務所の留守番に来てもらって、子供の面倒は私が見ました。
幼稚園の送り迎えは私がし、ご飯を食べさせて風呂に入れて寝かせます。勿論洗濯掃除も私がしました。
御中元の時は幼稚園は夏休みですから、朝車に商品を積んだら一度家に帰って子供たちを乗せて配達に行きます。
子供たちは車の中にジートしているのは退屈ですから一緒に付いてきます。
「この家」と私に聞きますと先にチャイムを鳴らし、「大丸です配達に来ました」と言っていました。
これは私にとっては忘れることのできない貴重な想い出です。
御歳暮の時は妻のお母さんが子供の面倒を見てくれました。
人は自分の力で成し遂げたように自慢をしますが、実はこのように多くの人達、特に肉親には大いに助けられているのです。ありがたいことです。

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