2012年6月2日土曜日

人生は登り坂(No41)

多くの着物学院が存在しますが、先生と言われている人の大半は自分で服飾史を語り、そしてそれらの着付けもできるという人はいないでしょう。そういう意味では専門的なことはなんとか責任を全うできるようにはなりましたが、学院として運営していくには技術や専門知識を指導し伝達していくだけでは駄目なのです。
学院として運営して行くに当たっては、着付が上手くて専門知識を熟知していることは何も自慢できることではなく当たり前です。
そういうことよりも、お稽古事を通してどうどのように社会に貢献していくかという理念が必要なのです。
私は脱サラをしてまだ間もない時でしたから、最も大切なその部分が理解できていなかったのです。
最も大切な理念が欠乏していましたので、生徒たちから先生と呼ばれると何時も面映ゆい気持ちになっていたのです。
これでは指導者としては失格ですから今度は人生哲学を勉強しました。
お稽古に来る人の直接の目的は自分で着れるようになりたいということですが、着れるようになればどうなるのか。そこが着れるようになりたいという根本目的ですから。なんのために着れるようになりたいとみんなは希望するのか。
そのことを始めとして、人は何のために生きているのか。お洒落は何のためにするのか。何の為に旅行に行くのか。何のために勉強をして仕事をするのか。なんのためにお稽古事を習うのか。なんの為に誰のために結婚をするのか等々、身近な事柄についてこれしかないというところまで、自分自身と問答をしながら考え抜きました。
これらの事柄に付いて考えを巡らせてみますと、究極の目的は自分のためなのです。自分の人生を如何に豊かにするかというところにつながっていくのです。人は誰のためでもなく、自分自身の人生を潤いのあるものにするために懸命に頑張っているのです。

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