2012年7月16日月曜日

虐めの根幹

アメリカノーゼンカヅラ

今虐め問題が大きく取り上げられています。
虐めは今に始まったことではなく、また子供社会だけでなく職場などのあらゆる場に存在しています。
この根幹となる原因は寂しさからくる苛立ちではないでしょうか。
今は情報社会で、あまりにも多くの情報が耳に入る。また家族との関係、友人関係、職場での人間関係、夫婦仲、経済問題など、自分と比較できる情報が多く入る。そんな状況で自分の存在を見つめた時に、満たされていないことによる多くの寂しさと苛立ちを覚えてしまいます。
大人たちは社会人として、その寂しさと苛立ちを表出させることは恥ずかしいことであるという理性で封じ込めています。それでも中には理性で抑えきれずに寂しさと苛立ちを晴らすために反社会的な行動を取ってしまう人も少なくありません。
大人がそうですから、子供はそういう大人を手本として生きているのですから、寂しさと苛立ちの鬱憤を晴らそうと、虐めや校内暴力に走る子どもが多くなってくるのは必然です。
生きている限り誰もが寂しさと苛立ちを持って生きています。それを理性というもので封印しています。だすから虐めを少なくするには、そんなことをしては恥ずかしいと思う理性をより感じさせる社会通念の構築が大切です。
そのためには大人が声をあげて怒る、時には殴る、そして悪いことをした者は、みんなの前で晒し者にして御仕置きをしなければ、現実には理性は益々薄れていきます。
虐めた親が逆ギレして文句を言う。その剣幕に押されて隠蔽をしてしまう。そんな理性のないことを平然と許してしまう社会(大人たち)がおかしいです。
私の子供がもし虐めに加担していたら「どうぞ先生ボコボコに殴ってくれ」と言いますし、私もボクボコに殴ってやります。それでも不良に走る子供は自分で殺すか、家から放り出す以外にないでしょう。いじめ問題は親自身が理性を高く持って、自分の子供でも反社会的行為をすれば晒し者にしてもかまわないと思う強さが必要です。
目一杯愛情を注ぎながらも道を間違えばシバキ倒す。優しくすることは簡単ですが殴るのは難しいです。でも敢えて殴れる勇気のある親を目指して欲しいです。

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