2012年7月18日水曜日

虐めはなくせる

虐めは子供の将来に大きな影響を及ぼしますので徹底してなくさなければいけません。
どうすれば良いか。そんなに難しいことではないでしょう。
先ずは制度を改めて、虐めを発見し、虐めの解決に奔走した先生を高く評価するようにすることです。それ以前に虐めを出したことを自分達の汚点とすることをやめることです。恥しいことであるとする制度だから、隠そうとして益々虐めが進行しているのが現実です。
虐めは今に始まったことではなく、また何処ででも発生していることですから、汚点として捉える制度を改めれば、先生方も虐めは罪悪であることを分かっているので改善するでしょう。
それでもダメなら教育の場を聖域としないで、社会構成の一つの領域に過ぎないという解釈で警察をどんどん入れて、悪いことをした者の人権を擁護する考えを退けて罰することです。
悪いことをすれば罰を受ける。罰を受ける年齢を下げればいいのです。
こういうことはその気になれば直ぐに取り組めるでしょう。
それで虐めは必ず大幅に改善されます。虐めはそのようにすれば無くせますが、それを提案すると反対する者が必ず出てくる。そして既得権を放棄しなければいけない人も出てきて大反対をする。
そういう大人の思惑の子供たちは犠牲者なのです。大人はそこをあくまでも子供たちを主役にした制度にしなければいけないのです。
表面的にはそれで改善されますが、もっと根本的改善が必要です。
それは学校教育は体・徳・知ですが、徳の面をもっと力を入れて教育することです。
特に大切なのは他者を思いやる心、感謝する心の育成です。
高校生が自転車通学をしていて、狭い歩道を友達を話しながら並走して前からきます。
前から人がくれば除けてくれるかと思って進んで行ったら、除ける気配がないので、寸前でこちらが慌てて身を避ける。そんな子供の如何に多いことか。例を上げれば限りがありません。
大津の自殺した学校の先生は虐めがあってもなかったという。教育委員会も先生も思いやりのかけらも感じられません。
そんなことで虐めをなくするなんてことは無理でしょう。
何故他者を思いやることが重要なのか。そのことが解説出来ない先生や大人が増えている。そういう根本的なことに関する理解が欠落していることの現象ではないでしょうか。

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