2012年10月31日水曜日

パソコンに8入れたら動きません

パソコンに8とのソフトを入れましたら動きません。

タスクバーのインターネットやドキュメント、ピクチャのアイコンがなくなりインターネットができません。

8は新しく8搭載のパソコンを買うのならいいですが、バージョンアップすると難しいです。7とほとんど変わりませんので、7を使用されている方にはおすすめできません。

復元するまでブログの投稿はできないかもしれません。

2012年10月30日火曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その13)

人の生きていくサイクルは端的に言って、仕事すること、寝ること、遊ぶことで成り立っています。
この三つの中で一番大切なのは公事である仕事をすることです。
 人という文字は人と人とが支えあった形であると言われています。
家に帰りますとスイッチ一つで明かりが灯って快適に生活できます。
蛇口を捻ればおいしい水が頂けます。こういうことはいくら力があっても一人の力ではできません。
皆が支えあっているからできるのですから、健常者は働ける間は働いて懸命に支える方に回らなければいけません。ただ支えているといっても、どんなに力のある人でも自分一人の力は微々たるものです。支えられている力は膨大ですから、生かされていることに感謝をしなければいけないのです。
 言葉は悪いですが、どんなに拙い人間でも20歳になれば法律では大人の仲間入りをいたします。
ですが私は自分が社会の中で生かされているのだということが認識出来ていない人は、幾つ何十になっても大人ではないと思っています。私の中での大人か否かはそこが基準です。
 精神的に全ての国民が大人であればもっと世の中は改善し住みやすくなります。そういう意味では道徳教育は大切です。

2012年10月29日月曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その12)

私は35年間きもの学院を主催してきて多くのご婦人方とお知り合いになりました。
当然話をする機会も多く観察していますと、五十路位に達しているご婦人方の中には、経済的に困らなければすぐでも別れたいと思っている人が沢山います。子供のために我慢辛抱をしなくなってもよい年齢に達していますので、夫に対する気持ちは辛辣です。
そうなる大きな原因は「俺の働きで生活できている」という男の傲慢さからきています。
 先日も夫から「甲斐性があったら俺が家で子供の面倒を見ているから、お前が働いて俺と同じだけ稼いで来い」と言われた。現実にはそれはできないので悔しく悲しかったけど、私には稼いで来る力がないので我慢をしていたということを聞きました。
 そんな男は最低だからもし今度同じことを言ったら「言い返してあげなさい」と言ってやりました。
 女性には間違っても男にはできない、子供の出産という大仕事があります。これは男の仕事以上に大変な役割です。
「甲斐性があるなら私が仕事に出ますから、貴方が子供を産んで育ててください」と言えばいいのです。
そんなことは出来る筈がありません。出来ないことを承知で相手を困らせてやり込めるという点では同じなのですから女性はそれを主張すればいいし、稼いでいないことを卑下する必要もありません。
 子供が6歳で既に親に恩を返しているといいます。自分の分身ができたことで「よしまた頑張らねば」と生きていく意欲が喚起してきて奮起することが出来るのです。自分の子供を産んでくれるという仕事は、感謝してもしきれない程に大きな仕事なのです。それが理解できずに「俺が働いているから」という男は最低です。お互いに感謝し労わりあっていけば、そこから大きな喜楽が発生することが理解できていない人は自分の首を自分で締めているのです。

2012年10月28日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その十一

 行きつけの喫茶店に行きますと、パートに出かけるご近所の婦人方が来ています。
顔なじみですから親しくお話をさせていただくのですが、主人たちの話が出ますと、皆さん一様に悪言を吐いて罵っています。
そこで私は「みんな旦那のことをボロクソに言っているけど、そんなになったのはどちらに原因があるのですか」と問いますと、「そりゃ主人や」と異口同音に言われます。
 確かに子育てというのは大変な苦労なのです。私などは妻に任せきりで全くその大変さが分かっていませんでしたが、娘達が孫を育てている姿を見ますと、こんなに大変なら仕事に行っている方が楽だと感じています。それほど大変なのです。
 私もそうでしたが、男達は子育ての大変さが分かっていないのです。
分かっていないから、俺は仕事をしているのだから家のことはお前がきちっとするのは当たり前と思っています。そう思っているからすすんで手助けをしようとしません。それに対して文句を言うと「俺が働いて生活できているのだから、お前も家で自分の責任を果たすのは当たり前だ」「お前には俺に変わって稼いで来るということはできないだろう」「家の仕事なんか外に出て仕事をするのと比較すれば簡単なものだ」「そんな簡単な家事もできないのか」と男は言います。
 男が働いて食わせているのだと言われますと、それは事実ですから我慢をして黙りますが、女性は自分の人格の尊厳を傷つけられたようで悲しく腹立たしいのです。
 そんな考えでいる男性は多いのです。そういう男性は家ではなにもしない。食事を頂いても「ごちそうさま。美味しかった」の一言も言わないのです。
 そんなことが繰り返されれば夫婦愛は冷め切ってしまうのは当たり前です。

2012年10月27日土曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その十

 男女愛だけでは駄目、また親子関係においても長きに渡って喜楽を維持していくことは現実として難しいことは実証されています。
人は生きている限り楽しく暮らしたいという願望が強いので、大切なお金を使った娯楽や趣味に興じます。
 娯楽や趣味は楽しいです。確かに面白いのですがお金を出せば簡単に得られる楽しみは刹那的です。
面白さを得ても直ぐに忘れて次の楽しみを求めます。次々に湧出してくる欲求を実現できればいいのですが、大抵の人は時間的、経済的に限度があって、我慢辛抱を強いられる間隔が長くなるのが通常です。
 我慢辛抱が伴うから楽しいのだと言える心のゆとりのある人はよいのですが、大抵の人はそれでストレスを溜めてしまいます。
 ストレスが溜まるからサラリーマンやOLの皆さんは、仕事が終わってから近場で遊んだり、飲み食いをしてストレス発散をします。でもそういう遊びは一時的であり結局全てはお金ですから、最後は大きなストレスに発展してしまい永続性のある喜楽とはなりません。
 外に勤めに出ている人はそうして一時的でもストレス発散できますが、家にいる奥様方はそれはできません。
留守を守り家計を任されている奥様は、夫が貰ってくる給料を考え、将来の子供のことを考えれば働きに出ている人のように贅沢はできません。始末をして切り詰めて家のために尽くしています。


2012年10月26日金曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その九

 社会というのは人の群れという意味で、人はお互いに支えあって生きています。
支えあっている人間関係において一番身近な夫婦、家族間が仲が良いのは喜楽を大きく増幅させる一因となりますが、その最も身近な人間関係すらも自我の主張バトルが行われてうまくいっていない家族が多いのも現実です。
 私は67歳で再婚をしました。自分でやっていた事業も全て後継者に譲りました。
今は細々と小遣い稼ぎで出張着付と、自宅で少人数の人を教えているだけで、第一線からは退いています。
 それでも今は妻と二人で仲良くお寺詣で、ハイキングなどに行っています。
妻が仕事をしてくれていますので、妻の負担を軽減するために食事の支度と送り迎えをしています。
仕事一途の人間が急に家に閉じこもって細々と生活を始めたわけですが、当初は目標のない生活に戸惑いました。今はこの生活の楽しさを満喫しています。
 経済的には大変不安な状態なのですが、なんとかギリギリでやっています。事業をやっているときは贅沢にあちこち食べ歩きをしました。それは今はできません。切り詰めて生活をしていかなければいけない状況ですが、以前よりも充実しています。妻のお陰です。妻が一生懸命に私のことを思いやってくれるからです。
どういう人生が一番幸せな人生か。そのことに考えを巡らせます、人は最後に妻に「ありがとう君の御陰で素敵な人生が送れました」と言って逝けることではないかと最近つくずく思います。
そういう意味では何時までも夫婦中睦まじくやっていくのが喜楽の増幅には重要なのですが、残念なことにそういう構図になっていない家庭が多いのが現実です。


2012年10月25日木曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その八

                                      砥峰高原にて2012/10/24

こんな話があります。離婚して懸命に働いて母親独りで子供を育てました。
子供は東京の大学に行きたいというので、経済的には苦しかったけど頑張って大学に行かせました。
そして無事卒業をして東京で就職しました。これで親の責任も果たせた、これからは少し楽になる。落ち着けば子供と一緒に暮らせるかもしれないと期待をしていました。ところがトーキョーのお嬢さんと付き合うようになって結婚をして、東京で住居を構えました。「私は苦労して子供を育てたのに騙されました」という婦人がいました。
 子供に期待をして、自分を生きがいとして頑張って来た。子供が生きがいの全てであったのに、一人ぼっちになってしまった。寂しさのあまりに子供に騙されたと言った気持ちは分かりますが、子供というのはそんなものです。
そういう環境で育てられた子供は親に対してきっと恩義を感じています。力を付けた時はきっと親に孝行をしてくれると思います。思いますが、それも結婚をした相手が同じ気持ちでいてくれなければ親孝行も難しいという現実があります。そういうことも考慮して、親はこどもに見返りを求めても仕方がないのが現在なのです。
 どんな動物も親離れをして自立していきます。親は少しでも早く自立出来るように手助けをして行くのが最大の責務です。
巣立って行った子供は親に甲斐性がなければ、特に男の子は家に寄り付かないというのが現実です。様々な現実を踏まえて考えれば、子供の育成を自分の生きがいの全てにする考え方は、自己の人生の充実に支障をきたします。


2012年10月24日水曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その七

 自己の人生の充実においては、喜楽がネックとなります。
喜楽に大きく関わってくるのは男女愛ですが、その男女愛に頼っても長い人生を充実させることは難しいことは明白です。
 よく親は子供の結婚に対しては愛よりも経済力を考えて、将来的に経済力のある人と一緒になることを奨めます。若い人には好きな人よりも経済力を優先に考えることは理解に苦しみます。
亀の甲より年の功で、年配の人は男女愛は長続きしないことを既に経験によって分かっているからです。
 別に嫌いになるということはなくても、一緒にいるだけで心がときめく愛はそんなに長く続きません。
ときめきが無くなってきた頃に、勿論例外はありますが通常は子供が授かります。
 子供は親の分身ですから可愛いです。子供に対しては見返りを求めないで一方的に愛を捧げることができます。そして子供は幼い時は親の意のままになりますので、親のロマンを子供にオーバーラップさせて子供を養育することができますので、子供の育成に一生懸命になります。

2012年10月23日火曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その六

若い人に男女愛は必ずそのうちに冷めてしまうものですと言っても、「そんなの信じられない」「私はそんな風にはならない」と一様に言います。若いことは素晴らしいです。そう信じて真剣に人を愛して恋愛に命をかければいいと思います。そういう熱いものを持っていることが若さですから、大いに恋愛して楽しんでください。そして恋愛に失敗しても少しの間だけ耐えていれば必ず忘れますから、間違ってもそんなことで自暴自棄にならないようにして欲しいと思います。
 若い人達が信じているように、男女愛は何時までも冷めずに熱いままで生きていければ、そんなに素晴らしい人生はないのですが、残念ながらそういうわけにはいきません。
 人間というものは誰もが自己顕示欲が強いのです。恋愛中はお互いに自己主張を控えていますが、結婚をするとその控えなければいけないという気持ちが薄れてしまって、自己主張合戦が始まります。
そして見えなかった中身も次第に丸見えになってきます。見えてくるものが納得が行き、尊敬に値するものであればそうでもないのですが、人は自分の考えが一番とおもっていますので、それを否定されることの応酬が続くと、慣れて、飽きてくる本能が速まり必然的に熱が冷めて行きます。
 結婚をするまで長年に渡って異なる環境で育ってきていますので、そうなることは必然なのです。若い時はそこまで考えが及ばなかったのです。
夫婦の間は風呂の湯と同じで、放置しておけが次第に冷めていきます。さめれば思い遣り、感謝するきもち、労わる気持ちで追い焚きをすればまた快適に人生は送れるのですが、冷めきってしまうと追い焚きをすることに心が及ばなくなり、妥協と惰性の生活に陥っていきます。

2012年10月22日月曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて。その五

 何が一番楽しくて嬉しいことなのか。
そのことを考えますと、その一つは恋愛ではないでしょうか。
恋愛中は相手と一緒にいるだけで心が弾んで楽しいのです。お金なんか目じゃない。一つのパンを分けあっても何時も一緒にいるだけで楽しく幸せに感じます。
だから何時でも一緒にいられるように結婚をしたいと思うのです。
そんなに熱く燃えていた愛がいざ結婚をして、5~6年もしますと、別に嫌いになったということではないのですが、一緒にいるだけでときめくということは無くなります。
 五十路も近くなって、私は未だ嘗て連れ合いと一緒にいることが一番楽しいと言う人に出会ったことがありません。男女の関係は当初はどんなに愛し合っていても、時が経てば誰もが必ず冷めてしまうのです。
 何故そうなるのか。個々に個人差はありますが、誰もが有している本能がそうさせるのです。
 人間には生きていくために「忘れる」「慣れる」「飽きる」という本能を有しています。
 例えば熱烈な恋愛をしている二人が、何かの理由で別れなければいけないことになります。
その悲しみは計り知れない大きなショックで、一時はこのまま死んでしまいたいと嘆き苦しみます。
でもその苦しみは少しのあいだ耐えていれば、必ず時が薄れさせ忘れさせてくれます。
人はどんなに辛くて悲しいことがあっても「慣れて」そのうちに「忘れ」させてくれるから生きていけます。
 その本能が愛にだけは無縁であってほしいのですがそういうわけにはいきません。愛情にも作用してきて、あれほど愛し合って燃えていた二人なのにという人達でも、中には別れてしまう人も出てきます。
愛もまた無常です。

2012年10月21日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その四

勉強が好きだという人もいますが、一般的にはあまり好きでないという人が多いでしょう。
それでも自分の将来を考えれば耐えて勉強しなければいけませんので懸命に頑張ります。
 結婚は相手のためにするのではありません。好きな人と一緒に生活できればきっと楽しい日々が過ごせるだろうと、期待と喜び一杯で結婚をします。今は少なくなりましたが、昔はお見合い結婚が多かったのです。好きでもない人と体を触れ合い一緒に暮らすのです。勇気と決断がいります。勇気をふるって結婚をするのは、それで自分の人生が大きく前進するだろうという期待感があるからです。
 可愛い子供を虐待する親がいます。可愛い子供に傷をつけるなんてことは私には考えられないことですが、子供がぐずると子育ての煩雑さにいらだって子供を虐めてしまうのです。これは親が自分中心に考えてしまっているからです。誰もが自分が一番可愛いのです。
 仏教には大乗仏教と小乗仏教があります。小乗仏教は修行をした者だけが救われるというものです。
 西行法師は出家するときに、自分の幼い女児を縁側から庭に蹴飛ばして俗世のしがらみから縁を切ったという逸話があります。仏教の教理は般若心経を読んでも分かるように、哲学の極みと言えます。
そこに小乗仏教が存在することは人生は自分のためにあることを何よりも証明しています。
 人生は自分のためにあります。それは真理ですが、自分の人生を充実させるには利己的に考えていては大きく充実させることはできない。それも真理であることが人生の難しさです。

2012年10月20日土曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その三

 人生は自分のためのものである。そんなことは「当たり前だ」と理解されている人と、それが理解できていない人も少なくありません。
 子供が幼くて、親である自分の存在が子供にとっては絶対である。そう感じている子育て最中の親の中には、責任感から自分は子供の為に生きていると自負しきっている方がいます。
 また恋愛中で熱く燃えている人の中には、「私はあなたのためなら死んでもよい」と思っている人がいます。
 相手に対する愛情が強くて、自分はその人のためなら命も惜しくないと思っている人達に、「人は自分のために生きているのですよ」と言っても「それはちがう」と言われてしまいす。
 愛情の強い人は、自分のことよりも相手の幸せを優先に考えます。
その思いは貴重で大切にしなければいけませんが、それは道理ではないのです。
 いたずらに「私はあなたのために」「お前たちのために」と思って真理を見間違っている人は、状態が悪化した時は、逆に相手に対する恨みも増幅させ、事態をより悪化させることになり、そのことによって自身の嘆き苦しみも増幅させる結果になります。感情に流されて道理を見間違えないようにすることが肝要です。

2012年10月19日金曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その二

楽しいこと、嬉しいことがあれば心地よい気持ちになります。高尚な感情の高まりで満たされている状態を心が潤っていると言います。心が潤っていれば、心が弾み生きていることの楽しみを実感します。
人は心が潤っている状態の時に、「よしまた悪いことをしてやろう」とは思いません。心が潤っている時は「よしまた頑張るぞ」という善なる心が喚起されます。
心はそういうメカニズムになっていますので、人生を充実させるには喜楽がネックとなるわけです。
 生きてくために最も大切なことは喜楽の理解なのです。
喜楽に付いては今更検証をするまでもないと感じておられる人が多いと思いますが、喜楽に付いての理解は意外と難しいのです。
このことは机上の上で学ぶことができないからです。経験によって培われていくもので、そこまでの人生経験にいたらなかったという人が多いためです。
 こういう人生論を説く難しさは、聞き手の聞く耳を持っているか否かの真剣さにかかっています。
 新興宗教団体に説教を拝聴しに行っても同じような事を説いて聞かせています。
でもそういう所に行く人は聞きたいという強い願望を抱いて行きますので「有り難い話だと」と興奮して帰宅し多額の寄付をいたします。
ところがこういう場で人生論を説いても、憂鬱な事の多い日常ですから、「そんな堅苦しい話」と一蹴されてしまうのがおちです。
おそらくこのエッセイもそうなる運命だとおもいますが、自己満足で恐縮ですが書き記します。

2012年10月18日木曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その一

人が生きていくには働かなければいけません。働きに関する道筋は無数にあり、その道筋に於いて多数の生き様が存在します。
各道筋には各々が抱く当面の希望がり、目標があり、目的があります。
それら当面の目的をクリアしながら前に進めて生きているわけですが、一つ一つの目標をクリアするのは容易ではありませんので、その欲求を手中にするために多くの人は懸命にもがいています。
 欲求の実現はそんなに簡単なものではありません。何に取り組んでも大きな壁が立ちはだかるのが現実です。現実は大変厳しいものですから、当面の欲求の実現が生きていく目的だと思ってしまう人もいますが、それは正しい理解ではありません。
生きていく道筋も、各自の生き様も多種多様ですが、各々が生きていく根本目的は、自己の人生を如何に楽しく充実した人生にするかという点において一定です。
 人生とは生まれてから死ぬまでの時間のことですが、この人生の空間を心の潤いで満杯にしたいと希望して人は生きています。人生は自己の人生の充実が生きていくための根本目的であることを理解することが、自己の人生を充実させるために大切です。

2012年10月17日水曜日

3人乗り自転車

 3人乗りは以前から禁止されていましたが、実際には黙認されていて違反をしても、違反切符を切ったことがないそうです。危険なので廃止の方向で警察は進めていたのですが、園児を送り迎えする父兄からは不便であると廃止大反対の動きがあり、三人乗り専用の自転車で条件を満たしていれば乗っても良い方向で認可されます。
 その条件は載せられる子どもの重さです。前に乗る子供は15kg、後ろは20kgまでで子供はヘルメットを被るということです。
 娘の所も来年から上の子供が幼稚園なので、送り迎えのために三人乗り自転車を買ったそうです。
前はハンドルの上のところに乗るように設計しているのですが、その椅子が高いと不安定になりますので、前輪は後輪よりも小さくしてあります。
普通の自転車と違ってフレームや荷台の強度をアップしてあり、駐輪時のふらつきを無くすためにハンドルをロックする機能が設けられ、さらにスタンドもより安定する形に設計されています。
ただお値段が電動でなくても4万円くらいしますので、今までのチャリンコで三人乗りという姿も当分は見られるのではと思います。

2012年10月16日火曜日

臨時国会のめど立たず

 民主、自民、公明の幹事会が開かれて、自民、公明は年内に解散を要求したが輿石幹事長からは回答がなく18日に再会談されるということです。
 自民、公明は年内解散の確約が取れない限りは臨時国会招集に応じないということでしょう。
 民主党は解散をするつもりがないので臨時国会を開いても仕方がないということで、何もしないままで国民の国税を無駄に費やしています。
 与党も野党も無駄に大切な国費を費やしているという点では、責任は重大ですが、敢えてどちらに非があるかといえば民主党でしょう。
 公約に無かった消費税を自民、公明の協力を得て通した。
その代償に近いうちに解散を約束したのでしょう。
その後、自民党に下手な動きがありましたが、約束は約束でしょう。
約束は守らなければいけないでしょう。
 時の総理が約束を守らなければ国民に示しがつかないでしょう。
民主党は約束を守って、年内解散を確約しなければ、非常事態である日本丸は一歩も前に進みません。
 国会議員は前に進ませるのが仕事なのです。その仕事を政局にかまけて放棄してしまっている。政党交付金だけでなく、この間の議員報酬は国民に返さなければいけないでしょう。
民主党は現況では何の事案を提出しても、一歩も前進させることはできないのは事実なのです。まともな神経があるのなら早く解散すべきです。
 自民党も腐っているね。特例国債発行法案を通さなければ、国民が大迷惑するのです。許されることではない筈です。次回の選挙では自民が政権を奪還すのではという予想ですが、そんな腐った政党に政権を取らせてはいけないでしょう。

2012年10月15日月曜日

悲しい夢

昨日は悲しい夢を見た。
一緒に暮らしている女性が家を出ていくというのだ。
聞いてみると好きな人がいるらしい。男は研修生で今は一生懸命に働きながら勉強をしているということだ。
そんな人を好きになれば、経済的には苦労をするだろうが夢があって楽しいだろう。そういう心躍る楽しさを知ってしまえば、今更よりを戻そうと頼んでも無駄だ。諦める以外にない。怒っても後の祭りだ。あっさりと了承はしたけれども非常に悲しい。
彼女を失う悲しみも少しはあるが、それよりも明日から何を糧に生きていけばいいのかという不安から悲しみが襲ってくるのだ。
うなされていると夢だということが分かって、そんな悲しい夢からは早くめ目覚めようと自分に言い聞かせていた。
そうだ俺には過去にこんな経験があるからそんな夢を見てしまったのだ。
昨日は妻が泊まりの仕事でいなかったからだ。妻がいるときはそんな夢は見ないのに妻がいないときは悲しい夢をよく見るどうしてだろう。

2012年10月14日日曜日

天王寺動物園

 娘と孫が泊まりに来てくれました。
朝、私が台所にたって早めの昼食の用意をしていると、「今日は弁当でも作って何処かに連れて行ってくれるの」と娘がいいましたので、予定はなかったのですが、急遽出かけることにしました。
 孫が動物園なら喜ぶだろうと思って天王寺の動物園に行くとことにしました。
通天閣の繁華街を抜けて行くコースです。通天閣近辺は外国に来たのではないかと錯覚するくらいに華やかです。
いたるところにビリケンさんの模造が置かれており、それを見て先ず孫が大喜びです。
 動物園に入りますと、それまでに少し愚図っていた孫が、独りで走り回って、動物を見ては「オー」と叫んで、私が動物に「こっちにおいで」と叫びますと、孫も言葉にならない言葉で盛んに呼びかけていました。
1歳と8ヶ月ですからどこまで理解できているのかわかりませんが、どの動物を見ても興味深げに見て「オー」と叫んでいます。
花を見ても「オー」と叫んでいますので、今は全てが珍しくてあらゆることを吸収する大切な時期なのだと感じました。
恐らくまだ記憶には残らないとおもいますが、人は三歳までに出来上がると言われていますので、様々なものに触れさせてやることが重要なのでしょうね。


2012年10月13日土曜日

「尼ロック」

 尼崎の運河には現在二つのシンボルが存在します。
一つは「であい橋」であり、もう一つは写真の「尼ロック」です。
 第二次産業が華やかに活動していた時代には、原材料の輸送は船舶が大量に運べてコストが安くあがりますので、船舶乗り入れの運河が尼崎の工場地帯に長きに渡って巡らされております。大企業が移転していった現在でも運河は残っており、また以前ほどではないが現在でも船舶は出入りしています。
 経済の発展期には多くの企業が地下水を汲み上げて使用しましたので、尼崎の工場地帯は地盤が沈下して0m地帯になっています。
台風などの時は海水が運河に流れ込んで水害を起こすおそれがありますので、尼ロック(閘門)を設けています。
閘門とは水位の異なる水面で前後の2つの水門を交互に開閉することにより 潮位の高い海水が運河内に流れることを防ぎながら、 船が航行できるようにした水門のことです。 尼崎閘門では、レオナルド・ダ・ヴィンチが考案したといわれる両開き式の閘門です。


2012年10月12日金曜日

神戸布引ハーブ園

妻が始めてなので久しぶりに神戸布引ハーブ園に行ってきました。
はじめにチョット文句を言わせて頂きます。
最終のロープウエーの運行が5時15分と早すぎるということです。
神戸は夜景も綺麗でしょうから、何故夜間の営業をしないのか不満を感じました。
そしてロープウエーの料金が往復で1480円は少し高すぎませんかということです。
後は文句のつけようがありません。ローケーションは抜群でほんとに癒されます。
上から中間の駅までくだっていきますと、様々なハーブが栽培されています。
皆さんはもうご存知だと思いますが、砂糖の300倍の甘味を持つステビア(上の写真)というハーブを始めてしりました。
糖尿病の患者にはこのハーブを使用するということで、甘味としてスポーツドリンクなどにも使われているそうです。
本当に甘いのか葉をちぎって食べてみましたが、本当に甘くておいしいのです。驚きました。5枚くらい葉をちぎってたべました。ごめんなさい。

2012年10月11日木曜日

選挙のために何も考えられない政治家

先日も記しましたが、臨時国会を開いて早く特例国債発行法案を通さなければいけないのに、その重要な法案を政争の具にしています。
 既に銀行融資でつないでいる地方は20に上り、その金利は約2300万円になるということです。
地方が損失する分は野田総理は国が負担すると言っています。
 簡単に国が負担しますと言っています。自分の懐から出すんやったら間違ってもそんなこと言えないでしょう。
選挙を見越して立場を少しでも良くしよう。有利な立場で戦えるようにという勝手な計算だけで、税金を無駄に使っています。「お前ら国会議員の給与から払え」と声を大にして言いたいです。
 法案を通せないお詫びに交付金の申請をしないと言っています。
しかし、特例法案は現実としてこのまま長期に渡って放置しておくということはできません。特例法案が通れば繰り上げ申請で交付金は貰えますので、これは全くの茶番劇です。そんな目先の計算で国民の気持ちを引くことが出来ると安易に思っている民主党に、心ある私たち知り合いは一様に激怒しています。

2012年10月10日水曜日

であい橋

尼崎の工場地帯には今でも多くの運河が巡らされており、尼崎の運河のシンボルにしようと平成9年に写真の「であい橋」が竣工されました。
 であい橋は中堀運河と北堀運河が出会うところにあるので「であい橋」とされたということです。
中央の円形から三方に橋が架けられており、橋桁は中央からのワイヤーローフで吊ることで支えられている吊り橋です。
橋の形は近くに関西熱化学工業株式会社のガスタンクがモチーフだそうです。
 自分は尼崎育ちで、子供の頃の運河はヘドロで臭くて悪い印象しかなかったのですが、今は水も北堀運河のところで浄化されているそうで、昔のようにくさい臭はしなくて、工場の力強さだけが漂う素敵な雰囲気になっています。

2012年10月9日火曜日

鷺の餌付け

 野鳥の鷺を武庫川で餌付けをしてる人を見かけましたので撮りました。
パンをちぎって投げてやると食べに来ます。次第に近くに来るように撒くと近づいてきます。手を一杯伸ばしたら届く位置まで来ますと警戒してそれ以上は近づきません。その位置だといざという時は逃げれる自信があるのでしょう。
 おっちゃんは話しかけてパンを差し出すのですが、直接手渡しでは食べません。
盛んに話しかけているおっちゃんに顔をむけて見合っています。手を差し出しても怖がらないでおっちゃんの顔を見ています。
これは毎日やれば手渡しで食べるようになるのではないかを思われるほど
おっちゃんに懐いています。珍しい光景で見ていてなごみました。

2012年10月8日月曜日

原発の厄介さ

原発を継続させるのか、それとも廃炉とするのか。
継続をさせるとすれば福島を経験している以上は、100%事故が生じないと

いうことはないのですから、有事の時はどういう対応をして、何処がどれ
だけの保障をするかを決定して推し進めなければいけないでしょう。
その青写真を示さないで推し進めることは無責任でしょう。
 その保障は、既に福島を経験していながら許認可を与える国に責任があ

りますので国がすべきです。
 また廃炉にするにしても詳しくは分かりませんが、何十年単位で使用済

み燃料棒を保管し管理していかなければいけないと聞いています。
 電力会社は原発が続けられるものと考えて、そのつもりの予算を組んで

経営してきていますので、廃炉後何十年も掛かる管理費に対する予算は組
んでいないでしょう。
国策として始めた原発ですし、国の政策として廃炉とするのであれば、そ

の後の経費は国が面倒見なければいけないでしょう。
 政治家は原発に付いて単純に受け答えをしていますが、以後は賛成する

にも、反対するにも具体的な数字を並べて意見を述べるべきではないでし
ょうか。

2012年10月7日日曜日

野田総理の原発に対するブレ

 企業は成績不振であれば経営者が責任を問われて辞任をしなければいけないので、当面の利益追求に邁進します。
 企業が儲ければ社会貢献も大きいので国も二人三脚でバックアップをします。その構図は当然なのですが、政治家はもっと大所高所から日本の国をどういう国にしていくかというビジョンを掲げて、そのためには具体的にどういう政策を考えているかをマニフェストにすべきではないでしょうか。
 原発に関しても2030年に廃止の方向で公言しておきながら経済界からクレームがつくと直ぐに振れて明言しなくなりました。
企業は儲けることしか考えていません。企業は頑張って利益をあげることが国の為になると自負しているから、国に注文をつけてきます。
その要求に応じて支援をしなければいけないことは確かですが、国民の生命と健康に関わる原発などの重大事は、企業の要求を退けても国の進むべきビジョンを明確にすべきではないでしょうか。
続けるにしても止めるしても難しい問題です。それだけ原発は厄介です。

2012年10月6日土曜日

矛盾

以前伊丹空港で騒音公害訴訟が起こされて莫大な保障がなされました。
ジェット機が就航されたことに対する騒音公害訴訟です。
航路となる伊丹、川西の住民が起こした訴訟ですが、訴訟は長きに渡りました。その間騒音被害が発生していることがわかっていながら、住居を構えた人も沢山います。
飛行機が飛び立っていく航路であることがわかっていながら住居をかまえて、訴訟問題が発生すると自分も被害家族であるとして加わる。
 普天間でも当初は住居はほとんどなかったように聞いています。
基地があり戦闘機が訓練で飛び交うのを分かっていて住居を構える。
 沖縄県知事や地域の首長は基地反対を訴えています。、国が基地周辺対策費として多額の予算を計上している。
反対を訴えるならそういう特別費を使うことを一切拒んで、5年くらい経て住民の意見を集約すればどういう結果がでるでしょうか。特別待遇を受けながら反対は矛盾だと私は思います。
 沖縄に旅行して飛び交う戦闘機の爆音のものすごさを体験しました。
あれでは子供たちは落ち着いて勉強できないでしょう。ですが沖縄にも戦闘機の爆音がしない地域も沢山あります。
なぜそういうところに引っ越さないのか。引っ越す人には国が援助をしてあげればいいのです。それでも音がする地域からは人は減らない。音がする地域は基地があるから栄える。経済的には住みやすい環境であるから住む人が多くなっていく。反対を唱えることの矛盾がそこにはあります。

2012年10月5日金曜日

野田総理の責任は重い

臨時国会開会のめどが立たないので、特例国債赤字法案が通らないで放置される形になっています。地方はその財源を一時的に融資でまかなうということです。
 動くお金は桁違いですからその金利は莫大です。それは我々国民が負担するのですから「何をやってるんだ」と言いたいです。
江戸時代には10両盗めば打ち首か、磔獄門でした。
 こんなに不景気で多くの国民が疲弊している時に、莫大なお金を無駄に捨ててしまうようなことを平然と行うのは盗みと同罪です。
何故なら盗みは自分と家族のために行うもので、法案を審議しないで党や自分の保身のためだけの行為は盗みと変わりません。
 これは与野党共に責任がありますが、近いうちにと明言した野田総理により多くの責任があります。
 明言した限りは早いうちに白黒をつけなければ、ねじれの国会では何を審議しても法案は通らないことは分かっているはずです。
わかっていて早くに白黒をつけないで引き伸ばしている行為は、それで多くのお金が費やされているのですから犯罪行為と同じなのです。
 何よりも国益を優先させないで、意識的に国益を損なわせる行為をする政党には第三者機関を設けて、例えば政党助成金を渡さないなどの罰則を設けるべきでしょう。
 国民がお金を稼ぐのにどんなに苦労しているか、口では分かっているように政治家は論じますが、心で感じ取っている政治家はいない。もし感じ取っているならば、心苦しくていたたまれない筈です。

2012年10月4日木曜日

私の着付けた素敵な人達


私の着付けた素敵な人達


正義を貫け

正義とは人が行う正しい道という意味です。
正しい道とはどういう道か。
 人は十人十色で様々な考えがありますので、各々の考えが正しいと主張すれば一つにまとまることがありません。それでは何も決めれませんので道理は一つですから、道理に則った道を歩むことが人が行う正しい道だとしています。
 各党を離党して維新の会に加わった議員は、今になって国政のことは自分たちで決めると言い出しています。それは正義ではないでしょう。
 維新の会は橋下さんの独裁ではなく、各分野からの著名人を相談役に迎えて、維新の会の政策を掲げています。その会に参加する人は橋下さんに従うというよりも、維新の政策を先ず忠実に実行することが正義です。
 維新の会が掲げる政策は恐らく現実には不備があり、実行できないものも出てくると思います。その時は党全体で議論をして結論を出し、その結論を遂行させるように全員で協力をする。それが政党政治です。
 政党政治とは本来はそういう政治形態であるはずなのが、派閥を造り古い議員が党を牛耳るようになっていく。それが嘗ての自民党の姿だったのです。
 若い人の意見は通らず金魚の糞的存在になっていく。それに嫌気をさして自分の理想に近いと思われる維新の会を選んで入党した。
そこまでは許されますが、入党して直ぐに自分たちの自我を通すような発言をするのは如何なものでしょうか。
 

2012年10月3日水曜日

節約してお金を有効に

 エレクトロニクス産業は資材もそんなに使いませんので、雇用が拡大しません。やはり景気を支える産業は土木建築でしょう。
資材は沢山必要ですし、あらゆる職種の人間が関わっていきますので、多数の人材が必要です。動くお金も桁違いに大きいので、景気浮揚には朽ちかけてきている橋や高速の橋脚、または地震のための備えてとしてのインフラの再構築などに力を注ぐことが大切ではないでしょうか。
 そのための財源がと、できないことの言い訳のように直ぐに財源のことに言及しますが、英知を働かせて無駄を徹底して削減することです。
例えば議員削減、公務員の給与減額、公的機関の民営化、国、県、市などの二重行政の撤廃など、その気になればいくらでも無駄を削れるのではないでしょうか。
 無駄を削って浮かせたお金を国債の償還に回すのではなく、そういう事業につぎ込む。そして真面目に働いて年金を収めてきた人間は老後に安心出来る社会保障を確立すれば、年配者が所有している国民資産は、消費に回ってくるのではないでしょうか。
 お金を動かさなければお金は産まれません。動かせるお金は現状では徹底して無駄を省くことしかできないでしょう。無駄を省くことはその気になればできるのです。官僚からは猛反対を受けるでしょうが、それができるのが政治家です。次の選挙ではそれが出来そうな党を選びます。

2012年10月2日火曜日

またも税の新設

野田内閣は公約にもない消費税のアップを敢行しました。
その上にまた環境税の新設でガソリンなどは二重の税がかかります。
環境税なんてものは、財務官僚たちが巧みな理屈付をして政治家を動かしたのではと想像できます。
 官僚たちは自分たちが人員削減されたり給与を減額されるのは嫌ですから、税をアップすることばかりを考えます。
公僕なんて言葉は昔のことで死語になっています。
 立場的に考えれば当然の成り行きと考えるのが自然ですが、それを大所高所から国民優先の政治を行うのが政治家の使命ですが、それが出来るだけの見識を有している政治家の少ないのには呆れてしまいます。
 足りなければ税を上げる。こんな能無しの施策しかできない今の政治家連中なんか、幾人いても国益にはなりませんので維新の会が公約しているように半減すればいいのです。

2012年10月1日月曜日

早くに解散を


 野田総理は解散を匂わせておきながら組閣を考えているということですが、そうなると年内解散は考えていないのでしょうか。
 解散をしなければ何も決まらないという状況になっているのですから、
特例国債法案を通し、定数是正をして早く解散しなければ国にとっては大きな損失です。
 議員定数の削減は国民の要望ですから、これに反対すれば次の選挙には大きなマイナスとなりますので各党も反対はできないでしょう。
 ここで民主党が大幅な削減案を打ち出せば起死回生の妙薬になるかもしれませんが、民主党にはそれだけの器量はないでしょうね。
年内にはスッキリさせて、来年からは新政権のもとで国民のための政治を行って欲しいです。