2012年10月19日金曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その二

楽しいこと、嬉しいことがあれば心地よい気持ちになります。高尚な感情の高まりで満たされている状態を心が潤っていると言います。心が潤っていれば、心が弾み生きていることの楽しみを実感します。
人は心が潤っている状態の時に、「よしまた悪いことをしてやろう」とは思いません。心が潤っている時は「よしまた頑張るぞ」という善なる心が喚起されます。
心はそういうメカニズムになっていますので、人生を充実させるには喜楽がネックとなるわけです。
 生きてくために最も大切なことは喜楽の理解なのです。
喜楽に付いては今更検証をするまでもないと感じておられる人が多いと思いますが、喜楽に付いての理解は意外と難しいのです。
このことは机上の上で学ぶことができないからです。経験によって培われていくもので、そこまでの人生経験にいたらなかったという人が多いためです。
 こういう人生論を説く難しさは、聞き手の聞く耳を持っているか否かの真剣さにかかっています。
 新興宗教団体に説教を拝聴しに行っても同じような事を説いて聞かせています。
でもそういう所に行く人は聞きたいという強い願望を抱いて行きますので「有り難い話だと」と興奮して帰宅し多額の寄付をいたします。
ところがこういう場で人生論を説いても、憂鬱な事の多い日常ですから、「そんな堅苦しい話」と一蹴されてしまうのがおちです。
おそらくこのエッセイもそうなる運命だとおもいますが、自己満足で恐縮ですが書き記します。

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