2012年10月21日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて・その四

勉強が好きだという人もいますが、一般的にはあまり好きでないという人が多いでしょう。
それでも自分の将来を考えれば耐えて勉強しなければいけませんので懸命に頑張ります。
 結婚は相手のためにするのではありません。好きな人と一緒に生活できればきっと楽しい日々が過ごせるだろうと、期待と喜び一杯で結婚をします。今は少なくなりましたが、昔はお見合い結婚が多かったのです。好きでもない人と体を触れ合い一緒に暮らすのです。勇気と決断がいります。勇気をふるって結婚をするのは、それで自分の人生が大きく前進するだろうという期待感があるからです。
 可愛い子供を虐待する親がいます。可愛い子供に傷をつけるなんてことは私には考えられないことですが、子供がぐずると子育ての煩雑さにいらだって子供を虐めてしまうのです。これは親が自分中心に考えてしまっているからです。誰もが自分が一番可愛いのです。
 仏教には大乗仏教と小乗仏教があります。小乗仏教は修行をした者だけが救われるというものです。
 西行法師は出家するときに、自分の幼い女児を縁側から庭に蹴飛ばして俗世のしがらみから縁を切ったという逸話があります。仏教の教理は般若心経を読んでも分かるように、哲学の極みと言えます。
そこに小乗仏教が存在することは人生は自分のためにあることを何よりも証明しています。
 人生は自分のためにあります。それは真理ですが、自分の人生を充実させるには利己的に考えていては大きく充実させることはできない。それも真理であることが人生の難しさです。

0 件のコメント:

コメントを投稿