2012年11月4日日曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その16)

人は様々な手段によって喜楽が得られます。
ところがその喜楽は刹那的に消え去るものであれば人生を充実させるところまで至らないのです。

持続する喜楽を持つということがポイントになります。

男女愛も家族愛も相手がいることで、一人芝居では成し遂げられません。

遊びは楽しいですが、一般的には使えるお金に限りがあり、また刹那的に消え去るものだから駄目。それではその他に何か永続した楽しみにつながるものがあるのか。それが分からないという人がいます。

そういう人は旅行や趣味や遊びで楽しみを得ようとします。

そして得られる喜楽は楽しいことは確かですが長続きしないものですから、際限なくお金を使って次から次に喜楽を得ようとします。仮にお金と時間をふんだんに使えるとします。そこから得られる喜楽は生きがいになりませんし、遊びそのものがつまらなくなって飽きてしまいます。何故なのか。そういうものからは自己の存在を承認されることがないからです。

実践を通して社会に貢献できているという実感が得られなから直ぐに飽きてしまうのです。

人は自己顕示欲の強い動物です。何時も控えめで前に出て行くことが苦手な人でも、内心は自分も人から羨ましがられる人になりたいという願望を持っています。

人は自分の存在価値を承認されることが一番の大きな喜楽なのです。その一番大きな喜楽になるものを永続して所有しなければいけなということです。

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