2012年11月5日月曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その17)

永続性のある喜楽とはどういうものか。それがわからないという人も少なくないので記します。
例えば、うどん屋さんをしていて、あそこの店のうどん屋さんは美味しいという評判がたって、連日お客さんが沢山来てくれているとします。

繁盛する条件は、値段的には他店と比較して高くはないが美味しい。先ずはこれが一番だと思いますが、それにプラスして接客が感じがよい。店は清潔感があるなどということが重要です。それを店主は理解していて、そのように感じて頂けるように努力をする。店の繁栄はそういう店主の努力の結果であり、店の繁盛はその努力をお客様方に承認されているということです。

少しでもお客さんに喜んでもらいたいと懸命に努力を積んできた。店が繁盛するということは店主自身の存在を承認してくれているという証ですから、それを感じ取る喜楽はどんなものよりも大きく、そして自分の心がけ次第ではいくらでも持続して行きます。

 そういう喜楽を得た人は仕事をすることが楽しく、いくら働いても苦労とは思わず頑張れます。

そうして頑張った人のところには自然とお金は流れていき貯まります。貯まれば喜楽は益々増幅します。

永続する喜楽というのはそういうことです。

人は当初は自分の立場の確立ばかりを考えています。それは仕方のない当然の道程ですが、それに終始していては永続性のある喜楽は得られません。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で人様のお役に立つ、人様に喜んでもらえるように意識して動いて、始めて自身の存在価値が承認されます。

結果的に大きな財を残せなかったとしても、何かを通して自身を承認されるように頑張れば永続した喜楽が得られます。

0 件のコメント:

コメントを投稿