2012年11月6日火曜日

エッセイ「人生探訪」楽しみに付いて(その18)

仕事をする、遊ぶ、寝るというサイクルの中で、永続性のある喜楽を得られるのは仕事の中にしか存在しません。その仕事も頑張って自分の存在価値を承認されるようにならなければ、仕事よって喜楽を増幅させることはできません。それは事実ではありますが、職種によっては誰もがそういう仕事に就けるということはありません。
仕事の内容と心境によっては、仕事を生き甲斐とするのは難しいという人もいます。
そういう人は永続性のある喜楽を永久に持てないのか。神様はそんな不公平な世の中にしていません。そんなことはないのですが、それを理解する心を磨かなければいけないという大きな課題はあります。
 世の中は競争社会ですから単純に言って、成績の上から順に良い仕事が決まっていくとします。
これも単純に例を上げれば、やり甲斐のある仕事に付ける人は全体の5割だけで、後は世間一般に自分の仕事に遣り甲斐を持てといっても、それは無理だという職種にしか就けないと人が存在すると仮定します。
以上のことは何の根拠もない例え話ですが、現実にはそういう人も沢山います。
仕事に喜びや遣り甲斐を持てなくて、仕事は生活のために仕方なく働いている人たちです。
そういう人は仕事が面白くないので、その分余計にストレスが貯まります。そのストレスを発散させなければ明日からの嫌な仕事が消化できませんので、お金を使ってパチンコなどのギャンブルをしたり、酒を飲んだり食べに行ったりでストレスを発散させようとします。そういうものは一時的なストレス解消方になっても根本解決にはなりません。でもそれしかストレス解消方はないので、日々そういうことの繰り返しで終始しまっています。
お金を使うことばかりでストレス解消していますので、お金が貯まるはずがありません。
お金が貯まらなければ先のことを考えれば不安な気持ちになります。
益々イライラが募ります。心にゆとりのない人というのは、そういう生き方をしている人たちのことをいうのではないでしょうか。
 

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