2012年11月27日火曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No1

中学を卒業するまでは流れのままに生きて来たというのが大方ではないでしょうか。
私は家が貧しかったので中学を卒業して就職をしました。
私たちの時代は一クラス50人以上おりまして、クラスの3分の1くらいは就職をしましたので、中学卒で就職をすることは珍しくはありませんでした。
井沢八郎の「ああ上野駅」という歌謡曲が大流行した時代です。
地方から東京や大阪の都会に沢山の中学生が集団就職で来た時代です。
第二次産業が一番元気のある時代で、現場で働く中学生は金の卵ともてはやされた時代でした。
わたしもその一人でした。
何処に就職をするか。私の親は一言も助言はしませんでした。親父は自分が働いたことがないのでわからなかったのでしょうか。恐らく何処でも良いから働いてくれたらよいと思っていたのではばいでしょうか。
就職担当の先生は「飯山君は神戸製鋼がよいのではないか」と勧めてくれました。
私も第二次産業が一番華やかな時代で、その中でも一に八幡、二に富士、三に住友、四に神戸製鋼、五に川鉄とランクされていることだけは知っていましたので「そうします」と返事をしました。
社会に門出の最初は自分の意思を通すほどの知識はなく人の勧めるままでした。

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