2012年12月16日日曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No17

私はきもの教室に時代衣裳の着付けを教えますのでやりませんかと営業にまわりました。
きもの教室の前進は和装小物会社です。
自社で開発した小物の使い方を、デパートなどで使い方の説明販売をしていました。
それが発端になり、自分で着れない人が増えているので、人を集めて着付け方と、自社のオリジナルの小物をセットにして売ろうという形で始まったわけです。
その方が確実に小物が売れるという企画で始まりましたので、大手のきもの学院の母体は小物会社がほとんどです。
 指導者は以前は営業の販売員であったのが学院という組織で始めたものですから先生となりました。
その先生方は着付けのプロではなく、私たちに言わせれば素人の集団です。
それでも時流に乗ってきもの教室は大ブレークしました。
目をつむって石を投げればきもの教室に当たると言われるくらいに一時は数多く存在しました。
それが証拠に出張着付けにいきますと、大方の人は学院オリジナルの小物を所持されています。
市販されていませんので、それを持っていればお稽古したという証になるわけです。
 私が営業に回り始めたころはブームのピークが終わり下火になりかけていました。
着物学院のあり方を改革しなければいけない時期に入っていた頃です。そういう時期に差し掛かっていましたので危機的意識があったのでしょう。私が教えますから習いませんかと営業に回りますと、直ぐにやりたいという先生方が出現しました。
芸者、舞妓、十二単などの衣裳を担いで講習に出かけます。
今からおよそ40年前で一回の講習に教材費を入れて8万円位頂きました。
会社でもこの試みを本格化させて人を養成していけば、映画、舞台、テレビの仕事に派遣ができる。
それを謳い文句に人を募れば人が集まるのではないかと思い、その企画を会社に進言したのですが取り上げてもらえずに、東京転勤が本格的に決まる形勢になってきました。

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