2012年12月19日水曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No20

きもの学院を開校して120人の人が来てくれました。
時代衣裳という特殊な着付ですから当初から月謝10000円で一年間のカリキュラムを組みました。
120人ですから一ヶ月1200000円の収入です。
私が会社を辞めた当時の給料は6万円台でした。
家賃その他の諸経費が15円位です。
 家計はサラリーマン時代から女房に任せていましたので明確にはわかりませんが、差し引きしますと90万円位残る勘定になります。
 私はお金のことよりも慣れない指導者としての勉強に追われていましたので、お金のことは全く関知しないで女房に任せていました。兄から借りたお金は直ぐに返したということでした。
順調な滑り出しです。
私は教えることに没頭していればいいのですが。これが慣れないものですから覚えることが一杯で大変な苦労です。
 苦労ですがしんどいと思ったことがありませんでした。ここがサラリーマンと自営と大きく異なるところです。
教えるようになって先ず思ったことは、みんなの前で理路整然と話をするということの困難です。
これが最初に立ちはだかる私の障害でした。
これは慣れるしか仕方のないことですが、話し方というものは直接生徒の抱くイメージにつながりますので苦労しました。
理路整然と話すというだけでなく、声の安定性が求められます。
聞いている人が安心して、そして落ち着いて聞ける声の響きが必要です。
そのために詩吟のLPを買ってきて声を鍛える勉強もしました。
教えるということは何よりも自分の勉強になるというのは真実です。
技術面では自信があってもそれを伝える言葉は難しいのです。
 教えるということは様々な才能が要求されることを知りました。
今考えれば、この一年間は教えるというよりも全く自分の為の勉強に終始した感があります。
その時の生徒さんごめんなさいです。あっという間に一年が過ぎました。

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