2012年12月23日日曜日

エッセイ「人生探訪」No24


一年経った段階で3人の生徒が残ってくれています。私にとっては希望の星ですから、配達の暇をみてはキチット指導をしました。その人たちは本当に長く私に付いて来てくれましたので感謝しています。
 私が子供の面倒を見て、妻は事務所に通うという生活の基本の形は離婚をするまで続きました。
配達のアルバイトをしながらこれからの経営を考えました。
 私のところは時代衣裳の着付専門学院として発足したわけですが、時代衣裳だけでは生徒は集まらないことがこれまでの経験で判然としました。
 女性の方は着付けを職業にするためにお稽古にくる人は皆無です。
折角親から支度してもらったきものがある。それがタンスの肥やしのままに眠っている。それをなんとか活かしたいという願望でお稽古にこられるのです。
その事が判然とすれば何時までも時代衣裳にこだわっているわけにはいきません。
そこで時代衣裳の専門学院から現代着装のお稽古の場に切り替える決心をしました。
 何段階かにクラスを分けて、上のクラスまでお稽古した人には、時代衣裳もカリキュラムに組み込んで指導するというシステムに変更しました。
 アルバイトの傍らでカリキュラムやクラス編成の書類を作成しました。子供の面倒を見ながらその作成に没頭しました。
 そして私自身にこのまま指導者としてやっていく上で大きな問題点がありました。
脱サラをして急に先生と呼ばれるようになったわけです。
当初は情熱だけで無我夢中でやっていましたが、一年も経過すると学院として指導していくには技術だけでは駄目だ、学院として運営していくには、また人様から先生と呼ばれる限りは、技術以上にもっと大切なものが必要であることが分かってきたのです。
 分かってくると、生徒たちから先生と呼ばれることに相応しくない自分であること。責任のある指導者としてやっていくには、様々な能力に欠けているという自覚はありましたので、それまでは生徒の皆さんから先生と呼ばれる度に面映ゆく、恥ずかしさに苛まれていました。
このことを克服しなければいけません。これを克服するのは勉強をする以外にありません。勉強をするには今はよい期間だと思って、アルバイトをしている期間に必死で勉強しました。


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