2012年12月25日火曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No26


 多くの着物学院が存在し、先生と言われる人も多数いらっしゃいますが、私の知る限りにおいては、自分で服飾史を語り、そして各時代衣裳の着付が出来る人は極少数ではないでしょう。そういう意味では専門的なことはなんとか責任を全うできるようにはなりました。ただ学院として運営していくに当たっては、技術や専門知識を熟知していることは何も特別なことだはなく当たり前のことです。
そういう技術的なことよりも、学院という組織で運営をしていくには、お稽古事を通してどのように社会に貢献していくかという理念が必要なのです。
 私は脱サラをしてまだ間もない時でしたから、最も大切なその部分が理解できていなかったのです。
最も大切な理念が欠乏していましたので、生徒たちから先生と呼ばれると何時も面映ゆい気持ちになっていたのです。
これでは指導者としては失格ですから今度は人生哲学を勉強しました。
お稽古に来る人の直接の目的は自分で着れるようになりたいということです。目前の目的はそこにありますが、着れるようになればどうなるのか。そこが最も重要な点なのです。お稽古に来られる人は何を求めて来られているのか。その根本目的に対する理解が重要です。
なんのために着れるようになりたいと希望してお稽古にいらっしゃるのか。
人は何のために生きているのか。お洒落は何のためにするのか。何の為に旅行に行くのか。何のために勉強をし、仕事をするのか。なんの為に結婚をするのか。それらのことをこれ以上の答えはないというところまで考え抜きました。
この結果として得た答えは、一つ一つの目標や、当面の目的は木に例えれば、一つ一つの枝葉にすぎないということです。枝葉は自己の人生という幹につながり根につながり、そして私たちを育んでいる社会という大地につながっています。枝葉は様々な形状を表し、様々に変化をしていきますが、そういう変遷をしながら、大きな幹を作り、大地を潤すために役立つ組織にならなければいけないのです。



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