2012年12月4日火曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No7


 健康保険がある会社という条件での就活の始まりです。私たちの世代には新聞の応募欄が就職探しのメインでしたので、新聞の求人欄を見てさがしました。
 現在でもそうですが就職するにあたってはやはり学歴が求められます。
養成校は高校生並みに三年間勉強をしましたが、企業の教育機関であって学校法人でないために学歴は中学卒です。中学卒では飲食店の店員か工員か職人見習い位しか求人はありません。水商売は嫌ですから、鉄鋼所に面接 に行きました。
面接だけでなくペーパーテストもありました。翌日に採用通知がきました。来ましたが神戸製鋼を辞めて同じ鉄鋼関係に就職すれば、私は本当の馬鹿者になってしまいます。折角採用通知をいただきましたが行くのをやめました。そうこうしているうちにテレビ局への派遣社員の広告を見ました。
そこには学歴も問われていませんでしたので、面接に行きました。
何も分からずに行った会社ですが、それが私の人生を決定づけるものになりました。
そのきっかけは歯痛ですから人生は不思議です。
 何をする会社かも知らずに、とにかく入社をしました。それが映画、演劇、テレビ局に衣裳をレンタルしている会社です。
 派遣に先駆けてきものの畳み方や羽織の畳み方、袴の畳み方を教えられました。それができれば先輩の手伝いができますので先ずそれを教えられてテレビ局に派遣されました。
最初に派遣されたのは大阪NHKです。BKと言われていました。
当時はビデオがありませんのでドラマも全て生放送です。
これから何処かに出かけるというシーンがあれば大変です。
セットの脇でゴザを引いて大あらわで外出着に着替えます。
すべてのスタッフは走り回っていました。
それからしばらくしてビデオテープが出てきました。
シーン割で撮ってつなげますので慌しく着替えるということがなくなりましたが、役者が掛け持ちできるようになりましたので、役者のスケジュールの都合で撮影時間が長くなるという私たちにとっては嫌な状況になりました。

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