2013年1月16日水曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No45



 学院にとっては大きな損失です。また私にとっても希望の星を手放したわけですから心に大きな空洞ができてしまい、先行きの目途がたちません。
主婦やOLを対象としたお稽古ごとの世界で、お稽古事で身を立てて行こうというような意欲のある人を探すのは至難のことです。
 お稽古ごとの取り組みの理想とする言葉に「修」「破」「離」というのがあります。
先ずは実技を積み重ねて修業をして、先生と肩を並べるところまでの技能を磨くということです。
上手の見本は教えていただいている先生で、先生と肩を並べるレベルまでお稽古を積んで初めて「修」の段階は終わります。
「修」の段階まで達すれば、そこで満足するのではなく、自分なりの工夫を凝らせて自分なりの新しいものを創作していくというのが「破」です。
お稽古に行ったけど」着れないというのが、お稽古をした人の大半です。
それが実態ですから「修」の段階をクリアするだけでも大変な困難が伴います。
そして「破」の段階にまで行くには先を見通した展望と、それを実現させようという強い情熱が無ければ達成はしません。
「離」というのは技能を極めた上に、更にそれをどう活用させて社会の中で活用させるかという社会活動の実践です。
幾ら知識、技能が豊かでも人の役に立たないものは価値がありません。身に付けたものは社会の中で活躍してこそ、本当の実りがあります。
お稽古をする限りは「修」「破」「離」の段階まで行って初めてお稽古事を通して、自分自身の人生の授業になるという教えです。

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