2013年1月18日金曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No47


私はよくお稽古の場で人生論を打ちました。子供の勉強でも仕事でもまたお稽古事でもみな一緒です。自分自身で前向きに取り組もう、頑張ろうという気持ちのない人は上達しませんし、良い仕事ができません。一番大切なのは気持ちです。精神が一番大切ですから意識高揚のために人生論を打っていたのです。そういう話を教室のお稽古の場でしますと、聞かなければ仕方がないから真面目を装って聞いている人が一番多いです。
真剣に真面目な話をしていますので「そんな話は嫌いと」露骨に態度で示す人もいますが、示せばこの人は駄目な人という烙印を押されるのが嫌さに、黙って聞いている振りをしている人です。露骨に嫌な態度を示す人や聞いている振りをしている人、前に座って皆を見ながら話をしていますと手に取るようにわかります。
生徒は分かられているということがわかっていないのでしょうね。
 そのように真面目な話を真面目に聞こうとしない人はお稽古をしていても上達はしませんし長続きしません。
身に付けようと自身で希望して取り組んでいる教養は、自分の人生にとってどういうメリットをもたらすかということを考えようとする真面目さがないからです。
着付ぐらいと侮っている人は多いのですが、その着付も上手にならなければお稽古に行ったけれども着れない人となり、侮っていながらそれさえも満足に出来ない人となります。そんな人のいかに多いことか。
上手になるにはどんなものでもそれなりの努力と苦労が伴うのです。真面目さのない人はそういう当たり前の道理すらも分からず、苦労や努力が嫌さにて辞めて行きます。
人生哲学を理解しようという真面目さのない人は頑張れないのです。

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