2013年1月23日水曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No52



 昭和の香り

 私も彼女と同じく二人の娘がいまして、事業を始めてからは子供と接することが少なく中学くらいになってからは食事の支度だけはしておいて、後は子供たちに任せるという生活でした。そういうことでは共通したものがありましたので、私の経験上で様々に相談にのりました。
 日本の歴史からいっても紀元後すでに2000年以上の人の営みがあります。太古から親が自分の子供が可愛くないという人はいません。どうすれば健康で賢く立派に育つか、みんな必死で考えて子供を養育してきています。
それだけの歴史を費やして実践を重ねて来ても、こういう育て方をすれば子供はこう育つという確かなデーターはないのです。
ヤングママ達の話を聞いていますと、さぞ分かっているように「あなたこうしなければだめよ」などと自信有り気に話していますが、いずれも決め手となる手段ではないのです。分からないのが実態であり、だからこそ人生は妙味があるのです。
ただ確かに言えることは、子供は親の玩具ではない。昔から社会の預かりものと言われていますが、それは確かです。親そのものも不特定多数の社会の人々の力によって大人になれましたので、少しでも早く自立できる子供に育てるのが親の責務であるということです。
 子供の自立を優先して考えれば親が余り構わない方が良いのではないかということです。
子供を構うか否かという事と、子供に対する愛情は別問題です。家庭の事情で子供と接することが少なくても愛情表現は十分にできます。
構ってあげれないけれども「お前たちのことは愛してるよ」ということを伝える手段はいくらでもあるということで、それを欠かさなければ構えなくても大丈夫だというのが自論です。

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