2013年1月26日土曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No55

宝山寺(生駒聖天様)から見た奈良盆地

 学院は妻に譲って私が退きましたが、直ぐに家を出たわけではありません。
子供たち二人が結婚するまでは籍は置いておいてやりたいと思っていました。
家に帰れば全くの家庭内離婚という状態でした。
妻は毎日のように帰ってくるのは朝方で彼が出来たのかもしれません。
好きにすればいいのですが、子供たちがどう思うか少し心配でした。でももう子供たちも大人ですから自分たちの気持ちは自分たちでコントロールしていくだろうと思うしかありません。
 ある日上の娘が「お父さん私たちのことを考えってくれているのでしょうが、私たちは大丈夫だから、見ていられないからもういいのと違う」といってくました。
その言葉を聞いてその日のうちに布団と若干の衣類と本を持って家を出ました。
娘にも行先を告げませんでした。経済は妻に全て任せていましたので私は一銭もありません。当座の生活費だけは欲しかったのですが妻が隠してしまっていますので、一銭も持たないで家を出ました。
狭いマンションの一室を借りたのですが、事業の方は妻に学院を全て譲って出ましたので、また一からの出直しです。
 基地を設けるほどの金銭がありませんので、時間貸しの教室を借りて全くの一からの出直しです。今日はこちらの教室で明日はあちらの教室でというように、毎日ジプシー生活です。一回幾らの出教室は高くつくのですが、お金がないので仕方がありません。
5年ほどは苦労しましたが、経営のノウハウは経験して分かっていましたので、順調に伸びて行きました。

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