2013年1月28日月曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No57

生駒聖天 宝山寺惣門


 充実した気持ちで頑張っていましたので、5年後には基地を持てるようになりました。
忘れもしません。平成6年12月です。教室の改装をして年を越せば新年度から出教室に行かなくても基地でできるようになるのです。
苦労しましたがやっとここまでこれました。年が明けてオリエンタルホテルで新年会を行い。私たちにとっては成人式は大きなイベントですから成人式を消化して、よし明日から通常通りの教室が始まると心を新たに気合を入れた矢先のあの阪神淡路大震災です。
 わが家は食器棚の中の食器は全て飛び出し、冷蔵庫は倒れてめちゃくちゃです。足を切らないようにしながら揺れが静まってすぐに、娘が一人住まいをしていましたので、娘のところに駆けつけました。その道中にパートナーの家がありますので、見に行きますと無事なようでした。そして阪神高速の甲子園球場の少し西側では阪神高速が落下してバスが頭を飛び出して状態で留まっていました。これを見て地震の大きかったことを認識させられました。
 娘は今津というところに住んでいたのですが、今津は古い家が多くて家が倒壊して、物凄い状態でした。娘のところのマンションは無事でしたが娘はいませんでした。いないという事は無事だと思って安心して待っていますとすぐに帰ってきました。あまりの怖さに他の部屋の人達と派出所にいっていたそうです。警官はいなくて帰って来てという事です。ワンルームマンションでしたが、備え付けのはめ込みの小さい冷蔵庫、ベットなどの家具は全て部屋の真ん中にきていました。いかに揺れが大きかったかを証明しています。
娘の部屋を二人で片づけてから教室に行きました。教室は棚が倒れて新しい畳に一か所傷が出来ましたが使える状態でしたのでほっとしました。

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