2013年1月30日水曜日

エッセイ「人生探訪」仕事編No59

生駒聖天 七福神

 私のような貧乏人の強さはそういう事には負けておれないというど根性です。
貧乏人からそのど根性を取り除けば何ものこりません。
 酒も飲まない博打もしない、仕事一筋で辛抱強くがんばりました。
毎年秋に発表会をしています。震災の年は秋になっても生徒は八人だけという状態でしたが、元気が復興スローガンでしたので、大赤字を承知の上で発表会を行うことにしました。八人しかいませんので全員が何役もこなして振る回転の発表会でした。
お陰様で大勢のお客様が来てくれて「元気を頂いた」と喜んでいただきました。
その声に励まされて私たちもがんばれました。
 その後震災復興が順調に進み、それに伴って学院も徐々に生徒が集まるようになりました。
集まると言いましても既にバブルが崩壊して不景気になってきている時でしたから、そんなに繁栄することはなく何とかやっていけるという状態でした。
 私は学院を興してた時は既にきもの教室は下火になっていた頃で、学院がなんとか運営していける時期にはバブルが崩壊していて、経営的に美味しい思いをしたことがなかったので、苦痛ではありませんでした。
バブルが崩壊して派手にやっていたきもの学院は潰れましたが、私どもは地道に細々とやっていましたので、何の影響もなく続けることができました。
きもの学院は、自分で着ものを着るというのが主目的ですから、男の私よりも女性が主となって運営して行く方が理想です。
彼女とコンビを組んでやって来て既に20年以上の歳月が経っています。彼女は頑張って立派な先生になってくれていましたので、この頃になりますと教えるという部分は全て彼女に任せていました。私は販売部がありましたのでそちらの方を主に担当していました。

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