2013年6月16日日曜日

名護屋帯

上図の遊女がロープ状の帯を締めていますが、この帯は名護屋帯といいます。福岡県名護屋は大陸文化伝来の玄関口で織物も盛んでした。
織物は九州から堺、京都に広がっていきました。
 文禄、慶長二度の朝鮮の役で九州の唐津の北に存在する名護屋城には十万の兵が滞在しました。
そして兵が滞在する周りには一万の遊女が集まりました。
集まった白拍子達は、キリシタンの巻き帯を見て、これを真似て桃山小袖の上に巻き付けて結びました。
この帯は名護屋の織物の彩色糸でできていましたので、名護屋帯と言われています。この帯は江戸時代の初期には姿を消して使われなくなりました。

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