2013年9月9日月曜日

誰の為に生きる

プロのアスリートを目指している人がいます。
プロテストを毎年受けるのですが、残念ながらテストに合格しません。
 今回のモスクワの世界陸上に出場したマラソンの野口さんは、潰れてしまっては大会に出れませんが、潰れる寸前までトレーニングしなければ競争には勝てないとおっしゃっていました。
そういう人たちのトレーニングと比較すると、その知人は今よりも何十倍もトレーニングしなければいけない。客観的にみれば我慢、辛抱が足りないとおもえるのですが、本人は俺は十分に努力している、これ以上どうしろというのだと言っているそうです。その上問題となるのは、俺がこんなに頑張っているのに、お前達はどれだけ俺の為にしてくれたのかと家族の者に言うそうです。
 この例はフイクションですが、現実にもっとやれるゆとりがあるのに、自分では十分にやっている、これ以上どうすればいいのだと叫ぶ人は多くいます。自分では十分にやっていると思っているのなら、何度受けても合格しなければ、結論は向いていないのです。簡単な理屈です。
 人は誰のためでもなく自分自身の人生の充実の為に生きています。自身のロマンの為に選択した路は、誰のためでもなく自身のためですから頑張り通さなければいけないのです。それでもだめなら自分は向いていない。その道では才能はないのです。そういう結論付けをする前に、本当に血涙の出るほど自分の為に頑張ったのか。それを客観的に見れる自分を構築しなければ、そんな人は何に取り組んでも一流にはなれないのです。
人生は自分のためのものであるのに、頑張れないことを人のせいにするような人は、何に取り組んでも大成しません。

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