2014年2月3日月曜日

節分(追儺)

節分は文字の如く冬から春の節を分けることで、立春の前日を言います。
この時期は宮中でも豊作を祈る「祈年祭」(としごいのまつり)があり、社寺でも五穀豊穣を願う祭が行われています。
その祭と、宮中で行われている「追儺」(ついな)が、宮中だけでなく貴族の間でも早くから行われていたようで、それが武家社会や庶民にも広がり、合体して今日のような節分祭が行われるようになったようです。
 追儺はナヤラヒ、鬼ヤラヒと称し、儺(だ)は難と同意語で、大寒の陰気災難をなし、厲鬼(れいき)これによって人を悩ますにより、この難鬼を追い払うというものです。
方相氏が熊の皮をかぶり、四つの黄金の目玉のある面をかぶり、黒衣に朱の裳を着し、手には矛と盾を持ち、侲子(おいこ=ワラワ)20人を従えて、大声をあげて鬼を追い払うものです。
豆を打ち撒いたのは室町時代からと言われています。武士は勝栗の栗を撒いたとも言われており、現在でも落花生を打ちつけるところもあるようです。

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