2014年9月17日水曜日

幸せさがし-57

 そんな時に教えている人達から「先生が学院を開校すれば私たちはお稽古に行きます」と言ってくれる人が沢山いました。
日本では学校から就職した会社を辞めれば、条件面でそれ以上の所に就職できることはまずありません。
私は学校から神戸製鋼に就職して。そこを辞めた身ですからサラリーマンとしては駄目人間です。
ですから失敗しても、今のサラリーくらいならなんとかなるだろうと思い、皆が言ってくれる有り難い言葉を受けて大阪で学院を開校しました。
時代衣裳の着付専門学院として開講しました。開校当時は他のきもの学院の先生方が120人くらい来てくれました。
一年間のカリキュラムを組んでいましたが、新米先生としては覚えることが一杯で、あっという間に一年間が過ぎました。来てくれていた人達は大手のきもの学院の先生方です。
私の所には、こんな特殊な着付も自分は出来ますと、自分に箔を付けるために来ていました。
また私には時代衣裳の着付けが出来るようになっても、それを活かして活躍できる場を与えてやれる力も策もありませんでしたので、それ以上お稽古しても仕方がないのは当然の理です。一年経った段階で残ってくれたのは三人だけで、他は各自自分の所属する学院に帰って行きました。
アルバイト生活が始まったのはそれからです。
一年間行って来た中で、時代衣裳の着付学院では成り立っていかなことがわかりましたので、自分の着付から、着せ付け、そして講師養成科、時代衣裳研究科と総合的に指導することに切り替えました。
自分の着付のカリキュラムを編成するに当たって、どういうシステムにするかを考えました。
大手のきもの学院の先生方と知り合って、他の着物学院のシステムは理解していました。

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